yxgm


加賀の里山逍遥
 2005.04.より登山順
金沢の里山A


卯辰山・春日山・満願寺山・野田山

[加賀] 卯辰山 140.93m (金沢市末広町)75
[加賀] 春日山  112.m (金沢市山ノ上町)
[加賀]  満願寺山  176.59m   (金沢市窪町)
[加賀]  野田山   175.09m  (金沢市山科町)
高尾城址見晴らし台・高尾三角点・金沢城三角点・専光寺三角点
若松三角点・鈴見三角点
・兼六園の
山崎山・栄螺山
第14回 2023.08.19. 「卯辰山」と「春日山」散策。
第13回 2022.11.09. 戸室山より移動して「卯辰山」散策。

第12回 2022.06.19. 能楽堂より、芭蕉句碑巡りで「一笑塚」往復。
第11回 2022.04.07. 「兼六園徘徊」

第10回 2021.10.30. 「金沢城址」散策。

第 9回 2019.12.28. 
「卯辰山」「春日山」。奥卯辰山健民公園に移動して「若松三角点」「鈴見三角点」探索。
第 8回 2019.04.08. 
「卯辰山」花見と「金沢三角点」。高尾城址見晴らし台花見。
第 7回 2016.04.05. 高尾城址に登り、近くの「高尾三角点」確認、「満願寺山」を往復。
第 6回 2015.05.03. 
「金沢城三等三角点」を探索。
第 5回
 2013.01.20. 
「専光寺一等三角点」を探索
第 4回 2011.10.15. 石川県立能楽堂から「卯辰山」「春日山」を往復
第 3回 2009.12.12 「野田山」の三角点を探しに行く。
第 2回 2009.11.03. 山側環状線より
「満願寺山」を往復。
第 1回 2007.10.14. 兼六園隣の能楽堂より
「卯辰山」を往復

  2023年08月19日(土)14回 「卯辰山」-「春日山」



 S女史と津幡森林公園を歩く予定だったが、調べていたら先月の水害で公園が閉鎖されていた。慌てて「卯辰山」から「春日山」を案内する事になった。





 卯辰山は下から歩けば良いのだが、暑いし山腹の「花菖蒲園」から登る事にした。駐車場もあるしトイレもある。「卯辰山三社周辺の由来」案内板がある。愛宕神社の鳥居から階段を登る。千杵坂と云うらしい。








 登ると「日暮ヶ丘」に出る。下に広場があり金沢市街が望める。








 「三ノ坂」の階段を登る。「精中報国の碑」がある。







 石橋を渡り「二ノ坂」を登る。


 





 「招魂社跡記念碑」がある。









 「一ノ坂」を登ると卯辰山三社の並ぶ場所にでる。







 社務所の前に、能楽「井筒」の井桁が置いてある。
 大和の国の在原寺の跡にあった古井戸の井桁を、金沢粟崎の木谷氏が手に入れここに置いたとの事。能楽では、紀有常の息女が、亡くなった夫の在原業平の形見の衣装を身につけ、井戸の枠に手を掛け、水に姿を写し亡き夫の面影を偲ぶ型がある。能楽フアンしか訪ねて来ない場所である。ゴミにしか見えず残念。もう少し大切に保存して欲しい。






 真ん中に「卯辰神社・天満堂」










 右側に「豊国神社・山王社」








 左側に「愛宕神社・白山社」








 豊国神社の横から進むと赤い橋。ここが三社の入口。







 大きな銅像の裏に出たので、正面に廻ったら、善妙寺の日蓮上人の銅像だった。








 「徳田秋声文学碑」








 望湖台は登らず過ぎてしまった。車道を横切り「横空台」を通り、橋を渡る。下に遊歩道が通る。








 「月見台」を通り抜けると「卯辰山公園創設記念碑」がある。この記念碑の裏の高みに三角点がある。







 「二等三角点・金沢・141m」。ここが卯辰山頂上。点名が金沢であり、金沢を代表する三角点。

 






 墓地を抜け車道に出て、今日はこれより「春日山」へ向かう。







 専光寺の駐車場を通り、









 景色の良い墓地の中を通り、









 ぼちの一番高い地点から、竹藪の中に突入。







 地理院地図に「春日山」が載っている。この竹藪の一番高い地点が、春日山の頂上である。途中から適当に入ると「山名札」があった。展望無し。すぐ戻る。







 専光寺の墓地を戻る。展望が良い。「卯辰山工芸工房」近くの広場で昼食。疲れたので遊歩道に入らず、車道をのんびりと降りた。








 車道はだいぶ遠回りになるが、自販機で冷たい飲物を買い、安全な車道で花菖蒲園まで降りた。







 ■次回登山は、8/26-27「乗鞍岳」へ■




  2022年11月09日(水)13回 「卯辰山」頂上付近散策



 戸室山から
「卯辰山」が見えた。S女史がまだ登っていないと云うので、戸室山の帰りに卯辰山の、頂上三角点付近を歩いて来た。
 車で卯辰山に上がり望湖台近くの駐車場に車を置く。駐車場のトイレのベンチに「卯辰の猫(ちび)の家がある。「ちび」が食事中。ベンチでご主人らしき人も一緒に食事中。どうゆう訳か知らないが、3度の食事を運ぶのは大変だなー。






















 望湖台に登る。ちょっと気が伸びたが街が良く見える。反対側に山が見えたが、今は良く見えない。








 車道を横切って「横空台」と「月見台」を横切る。








 さらに進むと「卯辰山公園創設記念碑」がある。









 記念碑の裏に入ると「2等三角点」がある。点名は「金沢」、標高は「140.93m」。








 ぶらぶらと辺りを周り、駐車場近くの「徳田秋声文学碑」を廻って戻った。






              ■次回登山は、11/12南砺市の扇山へ■



  2022年06月19日(日)12回 能楽堂より「芭蕉句碑」巡り




 友人能楽師の藪師の機関紙に「奥の細道と能楽古跡」について書いている。整理していて金沢の芭蕉が無い事に気付き、芭蕉の句碑を訪ねる事にした。健康徘徊である。金沢能楽堂別館に車を置かせてもらう。いつも利用している施設である。11.00時。









 すぐ向かいの「能楽堂本館」の前を通り、








 道を横切り「国立工芸館」の前を通る。








 工芸館と「石川県立美術館」の間の、急な階段を降りる。「美術の小径」というらしい。横に辰巳用水が滝のように落ちている。







 「中村記念美術館」らしい。









 「緑の小径」の標識。鈴木大拙館への道と書いてある。








 外から「大拙館」が覗けた。







 中に入ったことが無いので入館。入館料65才以上は210円。年齢を示すものを出せという。85だぞ、顔を見れば判りそうなものだ。鈴木大拙は仏教哲学者との事。白い建物は「思想空間」との事。







 表通りを歩いて「桜橋」を渡り、犀川大橋の方へ川岸の「犀星の小径」を歩く。今日は真夏日らしい。








 犀星の小径が近くなると、ロータリーに芭蕉句碑がある。「あかあかと日はつれなくも秋の風」








 車道から戻るように「蛤坂」を上がる。「寺町寺院群方面」の標識あり。







 「成学寺」の前に出る。









 門の中の築山に「秋日塚」がある。俳人堀麦水が1755年建立。「あかあかと日は難面も秋の風」







 続いて大通りを横断して進むと「本長寺」に出る。入り口の横に「芭蕉句碑」の標識。









 「春もやゝけしきととのう月と梅 芭蕉」








 その隣が「妙立寺」、通称忍者寺である。だいぶ昔に拝観した記憶有り。寺の右横に裏へ回る小道あり。








 小道を進むと「願念寺」の前に出る。ここに「小林一笑」の墓がある。







 「小林一笑」は、芭蕉がまだ会った事のない金沢の弟子。芭蕉は会うのを楽しみにしていた。1689年7月に金沢に着いたが一笑は前年11月に他界していた。門前に芭蕉の句碑。この寺で一笑の追善句会が催され「塚も動け我が泣く声は秋の風」と詠んだ。







 この寺は小林一笑の菩提寺で、これが一笑の墓らしい。








 「一笑塚」がある。小林一笑の辞世の句が彫ってある。「心から雪うつくしや西の雲」。享年36歳。








 表通りに出て犀川大橋を渡る。大通り繁華街は通らず、また犀川の川岸車道を戻り、途中から地図を眺めて路地を歩き回り、「大乗寺坂」を目指す。







 やっと大乗寺坂を見付けて、長い坂を登る。坂は「本多の森ホール」に登り着く。









 護国神社の裏から入ると、。その前が車を置いた能楽堂別館である。14.15分。3時間の徘徊。距離5.5km。






                ■次回登山は、6/22白峰の「西山」へ■



  2022年04月07日(木)11回 兼六園の山「山崎山・栄螺山」登頂



 県立能楽堂にに用があり出かけた。能楽堂の前が「兼六園」である。今日は花見で無料開放。花見を兼ねて兼六園の二つの山を登頂だ。

 伝統産業工芸館から園内に入るとすぐ
「山崎山」の登り口がある。「紅葉山」ともいう。




 
「山崎山」登頂。標高50mくらい。頂上よりの眺め。




 シダレザクラ。向こうは「卯辰山」。




 桜満開。




 桜の上の「卯辰山」




 二つ目の山
「栄螺山」に登る。頂上の唐傘が見える。「唐傘山」ともいう。




 
「栄螺山」登頂。てっぺん部分だけ立入禁止。標高50mくらい。




 頂上よりの眺め。霞が池。唐崎の松。卯辰山。




         ■次回登山は、4/9平栗「神主山」へ■



  2021年10月30日(土)10回 「金沢城跡」散策




 次男夫婦が孫を連れて飛行機で一泊の里帰りに来た。今日はお供である。

 手取フィッシュランドで金魚釣。









 メリーゴーランド。








 ゴーカート。








 翌日は、次男夫婦と孫の「和菓子体験」の間に、近くの「金沢城」散策。「石川門」。








 「河北門」復元されたようだ。








 「五十間長屋」









 五十軒長屋続櫓の橋爪橋を渡る。








 「橋爪門」を通る。三十軒長屋を通り、庭園の方へ降りてゆく。








 「色紙短冊積石垣」。下に「玉泉院庭園」が広がってくる。







 「玉泉院庭園」。




 庭園を抜けて、新しく復元された「鼠多門」を通ってみる。尾山神社に抜けられる。














 和菓子製作体験の会場。東京の修学旅行生が居る。












 孫の作った和菓子で、抹茶一服。金沢駅へ送る。




         ■次回登山は、10/31小矢部の「城山」へ■



  2019年12月28日(土)9回 「卯辰山」「春日山」奥卯辰「三角点」 



 82歳の、今年最終の里山徘徊の単独行。毎年パソコンに、山歩きの写真を番号を付けて保存しているが、今年は1/2日の二堂山を初回に、前回の夕日寺自然園まで99回。どうしてももう一つ歩いて100回にしたかった。今日は私の細君が亡くなって、15年目の命日。午前中にお経をあげて貰って、
「卯辰山」へやってきた。車で卯辰山へ上がり、望湖台下の駐車場に車を置く。トイレ寮がある。




 トイレのベンチに「うたつのねこ(ちび)のいえ」と書いてある箱がある。出入り口や屋根のタオルをまくって覗かないでください。臆病です。食べ物は与えないで下さい。1日3回はキチンと食事しています。と張り紙がしてある。








 丁度車が一台到着。男性が猫に餌を与えている。この人が世話をしているようだ。








 徳田秋声文学碑に立ち寄る。横に植えてあるツツジの木に、花が狂い咲きしていた。







 望湖台・135m。市街が良く見える。望湖とは河北潟の事?。海も近いから海の事かな?。県庁が見えない。日航ホテルの陰かな?。




 山の方は、医王山、戸室山は見えるが、大門山から大笠山辺りは雲が掛かっている。







 望湖台より降りて、車道を横切り向かい側のピーク「横空台」を横切る。









 次のピーク「月見台」に到着。大きな「卯辰山公園創設記念碑」がある。







 その碑の後ろに三角点があり、ここが卯辰山の最高地点である。
 三角点情報「卯辰山」
 三角点名・金沢
等級・2等三角点
標高・140.93m




 金沢大学医学部解剖体墓地を通り抜け、「春日山」の方へ降りてゆく。






 道がいろいろあり、適当にあっちこっち歩いて、専光寺の墓地入り口に着いた。大きなイロハモミジがある。保存木と書いてある。ここから広い墓地をウロウロと通り抜ける。里帰りの人が多いのか、人も多いし花もたくさん供えてある。








 この墓地は眺めが良い。





 墓地の一番上より、「春日山」の竹藪に突入。113.20分。道は付いているがなんとなくあやふや。地理院地図には名前が載っているが、ピークらしいピークが無い。ほとんど竹藪の中である。









 タブレットの112mが頂上と思われるので、あちこち歩いて、ようやく軌跡がピークを通過した。13.35分に登頂した事にして下山開始。車道を歩いて車に14.00時に置いた車に到着。今日はこれから奥卯辰山健民公園へ移動して、その近くにある、まだ未見の三角点を二つ探してみる予定。








 車で奥卯辰山健民公園へ移動。望湖台駐車場からすぐ車道が伸びている。14.20分に大池のある一番上の大きな駐車場に、車を置く。








 向こうに広場が広がっている。ここは来た覚えがない。







 広場に向かって左の上にピークがある。あそこに三角点があるらしい。山裾の作業道を登って行き、広場の上辺りに、頂上へ登る道を見付けた。藪漕ぎを覚悟していたのに有難い。






 展望なし。卯辰山よりこちらの方が高い。初見の三角点がある。
 三角点情報「奥卯辰山」
 三角点名・若松
等級・3等三角点
標高・166.32m






 すぐ下は、こども広場。芝生をそり滑りしている。その先にも広場は広がって居る様だ。次の三角点は駐車場の反対側にある。









 トンボテラスという建物の前を前を通り、一段下の駐車場を横切る。







 この駐車場も広くて展望が良い。斜面に花が咲いている木があった。植えてある「桜」と思われる。









 多分桜である。ひょっとすると「梅」かもしれない。判別がつかないとは情けない。














 駐車場から少し降りると「金沢仏舎利塔」への登り道がある。





 「あさじ公園」で誰でも入ってよい様だ。













 建物の先をちょっと降りた所に、その先のピークヘの鞍部があり、ここにも「けもの道」が登って居る様だ。






 いずれにしてもこの時期は、藪は薄い。ピーク近くに今日二つ目の、初見の三角点を発見。15.10分。
 三角点情報
 三角点名・鈴見
等級・4等三角点
標高・137.70m




 同じ道で降りて、車道をぶらぶらと登り返す。大門山・見越山・奈良岳あたりだな?。







 15.30分に駐車場に戻り着く。携帯歩数計は一万歩。


 令和元年の最終登山。来年も歩けるかなと思う。だいぶガタが来ているからな。





     ■次回登山は、1/2「二堂山」へ■




  2019年04月08日(月)8回 花見「卯辰山」「金沢三角点高尾城跡





 午後になって、金沢の90歳超えの、元・山友を呼び出し車の中からの花見に出かける。昨日一日は能楽堂にカン詰めだった。兼六園周辺は凄く人出で混みあったが、今日は少し静かである。ついでに
「卯辰山」の桜も楽しもうと車で登る。







 「横空台」という駐車場に止める。近くに三角点があるはずなので、思い出して寄ってみる。横空台から月見台に進み、「卯辰山公園創設記念碑」の裏に三角点はある。






 三角点情報「卯辰山」
 三角点名・金沢
等級・2等三角点
標高・140.93m








 月見台の桜は、ソメイヨシノでは無いようだ。葉っぱも一緒に出ている。







 最後に
「高尾城址」に寄る。朝は晴れていたが段々と曇ってきた。桜は満開だが、少しくすんで見える。













  2016年04月05日(火)7回 高尾城跡-「高尾三角点-「満願寺山」



 五日前、額谷山に登った時
「金沢南部丘陵歴史夢街道」の看板を見付けた。その時は、I・K・J・N・Lと周った。この看板を見て色々と調べていたら、他の場所も歩きたくなった。昨日は雨が降って寒かったが、今日はまた、晴れて暖かくなる様だ。今日も又、金沢南部丘陵を歩いてみようと思う。予定としては、H・G・E・F・Mと周る予定。
   この看板のJとKの備考が、間違えて反対になっている。




 
「H高尾城址見晴らし台」が何処にあるのか、地図に名前が無いので詳しくはわからないが、「石川県教育センター」の裏山らしい。10.00時過ぎに家を出て、10.45分に、金沢山側環状線より教育センターの方へ車を登らせる。なかなか高台にある。しかも満開の桜山が見える。エッ?エッ!。



 一番下の駐車場に車を入れたが、周りの桜は満開。上の駐車場は満車のようだ。私は知らなかったが、ここは桜の名所スポットのようだ。皆さんは花見客の様だ。 




 上の駐車場へ登ってみると、桜の山がある。あれが「高尾城址」らしい。










 石川県教育センターは、石川県が設置する教育に関する研究及び教育関係職員の研修を行う機関である。との事である。



 駐車場に入る前に、山すそに「高尾城址見晴らし台」の標識を見掛けていたので、靴を履き替えて歩き出す。階段が続いており、花見客が登ってくる。






















 
「H高尾城址見晴らし台」は、素晴らしい展望である。標高は190m位である。広い見晴らし台であるが、ここまで登ってくる人はあまり多くない。11.10分。
 町に見える方は、整備されて桜の木が植えてあるが、反対側の山の方は、荒れた竹藪が続いているようだ。
 見晴らし台の反対側からも道が登ってきている。上から覗いたらすごい急坂なので、一周するのはやめて元の道を降りる。


 次は「G禅ヶ峰神社」を目指す。ここより近い様だ。















 車に乗って坂道を降り、下の高尾南の町をぐるぐる回って
「G禅ヶ峯神社」を見付けた。鳥居横の桜も満開。


 鳥居をくぐった先に駐車場があるようなので、車を乗り入れた。社殿の横まで登る事が出来た。下まで降りて石段を登り返し、社殿に拝礼した。古社らしいが特に変わった所も無い様だ。


 社殿の裏へ廻ったら、斜面の上が先ほどいた駐車場だった。駐車場から歩いて降りた方が、手っ取り早かったのだ。







 今度は
「高尾・三角点」探しである。地図を見ると道は無いが、林道よりあまり離れていないので、上手くゆけば見付けられそうだ。車に乗って山側環状を少し走り、山側の高尾町を抜ける。竹藪の中に道は続いているが、細くて怖そうなので、町はずれに車を置き歩き出す。800mほど歩いたら、左の斜面に「金沢市営造林地高尾第2団地」の標識が斜面の上に見えた。





 入り込んだら杉林がすぐ竹藪になった。尾根まで登り、右に竹藪の中を登って行くと、一番高い所に三角点を見付けた。ここを
「高尾山」にしようかと考えたが、高尾城址の方が標高が高い。さてどうするかー。
 三角点情報「高尾山」
 三角点名・高尾
等級・3等三角点
標高・176.17m








 今度は
「E九万坊大権現」である。山側環状線の窪2丁目信号より山に向かって町に入る。満願寺山の山裾に「九万坊大権現」がある。石段を登る。九万坊権現とは「天狗を祀る神社」らしく、金沢だけに5.6ヶ所ある珍しい神社らしい。




 拝殿で拝礼。張り出してある由緒書きが面白いので載せる。「当山並びに、ゆかりのある満願山には、三聖大権現と称せられる、霊験あらたかな天狗様(九萬坊・薬師如来)(八萬坊・不動明王)(照若坊・十一面観世音)を祀って信仰を深めています。この本地佛は魔界をさまよう天狗達が、仏法に帰依して善神に化身し、心の浄化と五躰安全、現世利益の御神徳が得られる神とされています。どうぞお参りください」







 裏へ回ると本殿がある。天狗の面が屋根の方に二面、下に一面、掛かっている。


 拝本殿の裏に、山へ登る石段が続いている。七年前と同じで立ち入り禁止になっているが、ちょっと入らせてもらう。苔むした石段が頂上まで続くが、、用心して登れば危ない所はない。
4等三角点がある。展望なし。九万坊の奥の院があるが、小屋みたいな感じ。







 三角点情報・「満願寺山」
 三角点名・窪
等級・4等三角点
標高・176.43m



 山から下りて、
「F斎地神社」を探す。町の中をぐるぐる廻ったら神社の横に出た。古社らしい。素敵な社殿である。









 最後に、前回の「額谷山」歩きの時の「N蓮如上人の墓」のふもとにある
「M善性寺」に寄ってみる。

 蓮如上人の墓にあった石碑を転記。「この山の下の、四十万町の善性寺の「法慶坊」の信心深きを愛で、蓮如上人はご巡錫の都度、善性寺に逗留して、このあたりの教化の中心として寺は賑わった。逗留中にはこの前山に上り、加賀一円が眼下に広がる風光を愛し、霊宝山と名付け、自分が死んだらこの山頂に葬ってくれと、常々おん物語があったという。」












 境内に蓮如上人の像がある。これで夢街道看板のE番からN番迄探した。残りはまたお知らせする。








 蓮如上人で思い出した。先月月末に我が家の仏壇で月参りの読経をお願いした時の話。我家のお寺、小松串町の光玄寺の住職「佐竹円修師」と話をしていて、今度「蓮如上人御影道中」の教導を拝命し、京都から吉崎御坊まで歩くのだそうである。今は少しずつ歩く練習をしているとの事。

 ネットで調べると「蓮如上人御影道中」
 御影道中は、蓮如上人の没後、北陸での教化のご苦労とその徳を偲んで吉崎御坊(吉崎別院)で厳修される御忌法要に、上人の御影を本山よりお迎えして勤められたのが始まりであると伝えられています。以来、上人が歩いたといわれる約240キロの道程を、随行教導や、宰領(さいりょう)をはじめとする供奉人(くぶにん)方が御影と共に歩む御仏事として300年以上の間連綿と続けられています。道中は、真宗本廟における御下向式(4月17日)に始まり、約140箇所の会所に立ち寄り上人の御教化にあわれながら、御帰山式(5月9日)をもって終了します。


 片道240キロ。行きは6泊7日、帰りは7泊8日。木ノ芽峠越えや、旧北国街道も通るらしい。住職大変ですぞ。大変ですぞ。頑張ってください。











 新聞に4/3日の、演能の写真が小さく載っていた。私も端っこにちょっと写っていた。








 ★次項2016年の29回登山は、4/9福井県の「ホノケ山」へ★




  2015年05月03日(日)6回 金沢城内の金沢城三角点探索



 日曜日は金沢の能楽堂で、午後能楽例会があり参加していた。午前中は少し早めに出かけてきて、徒歩でコールデンウイークの一日、観光客に交じって金沢城まで歩き「三角点」を確認してきた。


 石川門に続く橋の上より、三角点のあると思われる一番高い所を写す。




 一番高い地点の遊歩道より、前後に人が居なくなったとき、失礼して柵を越え藪を漕ぐ。なかなかの藪である。一番高い所に三角点発見。

三角点情報・「金沢城」 
 三角点名・金沢城
等級・3等三角点
標高・59.33m



 すぐ戻り、本丸跡を過ぎて降ったら、新して庭園がオープンしていた。玉泉院丸の庭園を復元したようだ。今度ゆっくりと歩きに来よう。




       ●次項2015年・第32回登山は、5/6福井県「三十三間山」へ●






  2014年01月20日(月)5回 入院顛末と「専光寺1等三角点」の探索



 昨日、見知らぬ方よりメールを頂いた。去年の12月08日の「奥獅子吼山」より、一か月以上もページの更新が無いので、「御身体大丈夫でしょうか?」とお見舞いメールを頂いた。昨日は小松の「うらら」で能楽の会があり、頼まれていたお役を無事勤め終えホッとしていた所で、このメールを見付けて、見知らぬ方のお見舞いに涙が出そうになるくらいうれしかった。



 ホームページを更新したくても山に登っていないので書くことが無い。そこで今日は、夕方頃より急に思い立って、金沢市の平地に一つある
「一等三角点・専光寺」を探しに行った。無事見付けてきたので、無理矢理にこじつけて顛末なども載せようと思う。わざわざ一稿を設けるほどではないので、「卯辰山」の稿に載せる事にした。



 風邪をひいてもあまり寝込んだことが無い。少し体力を過信していたようだ。特に無理をした覚えはないが、奥獅子吼山以降なんとなく体調不良。寝込んだわけではないが市販の風邪薬を飲んでぶらぶらとしていた。12月14日に埼玉の二男に子供誕生。私としては喜寿にして初孫である。





 孫に風邪をうつす訳にはいかないので、少し調子が良くなってきた23日に日帰りで埼玉へ行って、初孫を抱いてきた。24日に友達と温泉へ行く予定だったが、午前中に向かいのかかりつけ医者に風邪薬でも貰おうと出かけたら、心電図を取られ即市民病院へ行くように命ぜられた。市民病院でも即入院。温泉はパーで違約金を丸々払う羽目。






 心不全で肺に水がたまっているらしい。おまけに心不全になった原因に、心臓の冠動脈の詰りが考えられるので、カテーテルの検査もするという。大ごとになってしまった。25日は快晴。八階の休憩室の窓から手を伸ばして白山を写す。南の方は良く見えるが東の白山は撮りづらい。






 カテーテル検査は年末年始の休日の関係で7日に決定。入院が長引く事になってしまった。紅白歌合戦は個室のテレビで見て、病院のベットで元日を迎える。これが元日の朝の食事。お正月らしく黒豆が付いている。午後から外泊許可が出て自宅へ帰る。息子と二人暮らしだから帰っても、病院暮らしとあまり変わりない。年賀状の整理。





 4日にまた外泊許可をもらい、5日は金沢の定例能の「翁」を拝見。そのあと途中で抜け出して夕方までに病室へ帰室。夕刻で赤くなってきた「白山」を撮る。7日カテーテル検査、2時間掛かり、なかなか辛い。少し詰まり掛けの所があり治療したと云う。9日午前中に退院。半月の入院だった。午後から金沢お稽古場の「太鼓打初め」に間に合う。しばらくは病気がぶり返すかもしれないので、無理をしないようにと念を押されている。昨日19日に舞台を勤めてやっと元通りになってきたと実感。




 そして今日「三角点探索」に出掛ける。




 石川県に一等三角点は16箇所に設置されている。そのほとんどが山のピークにあるが、この「専光寺」と云う三角点は平地にある。西インターで下車して海の方へ走ると「緑小学校」がある。広い駐車場があるのでちょっと置かせてもらって、学校左側の道路を歩き出す。学校の裏の運動場が見えてきた地点で、学校の敷地内に三角点が見えた。運動場を囲むネットと道路の間である。





 塀があって側へは寄れない。少し戻って低い門を乗り越えた。悪しからず。保護石に囲まれており低山徘徊部の立派な札がある。付近は大きな団地。石川県の「一等三角点」16点の内、10番目の確認である。
 三角点情報・緑小学校
 三角点名・専光寺
等級・1等三角点
標高・4.74m





      ●次項2014年・第2回登山は、1/22片山津・三角点探し「手塚山」へ●






  2011年10月15日(土)4回 能楽堂より「卯辰山」「金沢三角点」「春日山」





 明日は「北國新聞社」の「北國能」が石川県立能楽堂であり、お役が付いて、今日の夜リハーサルがある。夜まで暇なので、
「卯辰山」でも歩いてこようかと、昼12.20分、能楽堂の駐車場に車を置く。またこの大きな「楢の木」より出発。実は向かいの能楽堂別館にも、これと同じ、素晴らしい「楢の木」が有ったので紹介したかったが、少し前に無くなっていた。切株があり、真ん中に大きな穴があった。倒れたのかな・・








 少し兼六園のふちを歩いて、兼見御亭の食事処の横の坂を降りる。今まで気が付かなかったが「八坂」の石碑がある。向かいに卯辰山が広がっている。前回は「天神橋」を渡ったので、今回は
「常盤橋」を渡って山に登る予定








 金沢の城近くは道が複雑だ。前回は天神橋を目指したのに常盤橋に出た。今回は常盤橋を目指したのに天神橋の近くに出た。浅野川ふちを歩いて常盤橋まで戻る。









 左に曲がると「ごりや」と云う料理屋の前を通る。営業してないように見える。この先左に広い道を登って行く。地図を見ていると、ここから卯辰山まで道が続いている。








 「石川青少年研修会センター」と「小玄寺」の間を登って行ったら、なんと通行止になっている。だいぶ前から通行止のようだ。折り返すように、右に細い道が上に続いているので入り込む。








 出た所はなんと、畑地だった。野菜や花が作ってある。「シュウメイギク」が咲いている。この先に道が無い。畑の上部まで登り偵察したら、この上の台地が、整備されたように見える。道が無いので藪を漕ぐ。最近は、年のせいか藪の中を徘徊する事多し。








 台地までよじ登ったら、園地みたいな所に出た。舗装の道路があるが??。上へ登って行ったら工事現場みたいな所に出た。考えると2.3年前、このあたりに大きな水害があった。その爪痕かな??。斜面に付けられた(地滑り跡?)のジグザグ道を登ったら、ようやく卯辰山の一角に登り着いたようだ。見晴らしが良い。市街とは反対側の、湯涌方面らしい。







 「ムラサキシキブ」が咲いていた。さらに登ったらユースホステルの前に出た。さて今日は卯辰山の「点名・金沢」の三角点を探すのが目的。方向が判らない。右に行って「消防殉職者」の慰霊塔を周り、方向違いに気付き戻る。左に行ったらようやく見覚えのある地点に出た。









 まず「望湖台」に登り金沢市街を眺め、次に「横空台」に登り、次に「月見台」に登る。ここら辺りが一番高そうだ。辺りを探すが見付からない。今回もダメかな。








 月見台の一番奥の突き当りに「卯辰山公園創設記念碑」が建っている。その横の木に「クマがこの近くに出没しています・・・」の札が下がっている。この木の横に入り込んで三角点を見付けた。








 三角点情報「卯辰山」
 三角点名・金沢
等級・2等三角点
標高・140.93m
 この三角点の点名は「金沢」である。金沢を代表する三角点である?。







 今日のもう一つの目的は、国土地理院の地図の「卯辰山」の北にある
「春日山」の探索である。月見台から献体墓地を通りうろうろしていたら、専光寺の大きな墓地に出た。墓地の向こうに金沢市街が広がっている。墓地の向こうに卯辰山に続く山が見える。あれが春日山らしい。







 墓地の最上部に登ったら、山の中に入る道を見付けた。初めは雑木林だったが、やがて何処までも続く深い竹林になった。見通しは全然なく、春日山の頂上らしいものも無し。竹林の中で道が二つに分かれていた。どちらを行こうか迷ったが、左の道を行って降り始めた。








 畑地を通り、天下台配水池の横を通り、住宅地に着いた。さらに降りたら「小坂神社」に出た。15.00時。ここは一度訪ねたいと思っていた神社である。境内社に「瀧波社」があり、義経一行が奥州下向の折、弁慶がここで「鳴るは滝の水」の舞曲を奏した、と書いてある。
謡曲「安宅」の舞台である。








 小坂神社から降りると其処は表通り。国道359号線。表通りを、変な格好でひたすら兼六園を目指す。45分も掛かって能楽堂に帰り着く。15.55分。












  2009年12月12日(土)3回 「野田山」を初散策



 師走の中頃ともなれば、いつも時雨れる。だから歩かなくても登れる山ばかり探している。相棒を、いつも小松辺りの山に引っ張り出して居るので、今回は金沢辺りを狙う。S女史に見せてもらった「石川ふるさと100山」に
「松根城山」と言うのがあった。調べていると簡単に登れるらしい。地図を見ていると、また近くに「権殿山」がある。聞いたことも無い山だが、地図に名前があり二等三角点がある。ここも簡単に登れそうだ。



 ついでに
「野田山」も登ってこよう。ここは金沢の墓地で、いつも側を通るが、調べたら三角点があり、野田山の山名も地図に載っている。山に間違いない。





 と云う訳で、余り歩く事のいらない山を、三山いっぺんに登ることにした。S女史を乗せて、野田山登り口の「大乗寺」で、8.30.に相棒と待ち合わせ。そのまま墓地へ登ってゆく。枝道が色々あり判りにくいが、なんとか頂上近くの道端に車を止める。東側が「山田りんご園」で、西側が墓地である。地図を見て探すと、このりんご園が一番高い地点である。しかし厳重な柵があり扉も閉まっていて無人だ。








 厳重なフェンスで囲まれていて、入り込めるところが無い。柵に沿って歩いていたら、りんご園の中の丸い小山の上に、白い三角点の標識を見付けた。










 横側に廻って確認すると、三角点の石柱も見える。しかし残念ながら近くまで行けない。遠くから眺めるのみ。








三角点情報「野田山」
三角点名・野田山
等級・三等三角点
標高・175.09m
所在地・石川県金沢市山科町



 フェンスの外の杉林の木に、山名札をつけて、
次の
「権殿山」に向かう





  2009年11月03日(祝)2回 初登山「満願寺山」を往復



 2005年春から、自宅付近の「加賀の里山」を歩き始め、このホームページで記録を載せ始めた。登った順番に番号を付けた。番号が増えるのが楽しくて、石川県加賀地方の里山のつもりが、県境を越えて福井県にも少しはみ出した。加賀地方に接する能登の山もある。低くて山らしくない山も無理に入れた。それでも全部自宅から簡単に日帰りできる、私の好きな里山である。五年近く掛かって山名が百に近くなった。100番目を何処にしようかと考えてこの
「満願寺山」を選んだ。べつに100番で止める気は無くて、まだまだ増やす心算だが、とりあえず「満願」としておこう。



 この
「満願寺山」は金沢の「山側環状線」沿いにある。環状線が通じていなかった時は気が付かなかったが、道路が繋がって小松自宅から、医王山などへ出掛けるとき、車のナビに必ず満願寺山が出てくる。道路の山側に聳える小さい丸い山である。八合目付近まで住宅がびっしりと建てられている。あんな急な斜面に家を建てて大丈夫かなと心配になる。一度登ってみようかと思って調べたら三角点がある。三角点情報を調べたら、点ノ記に次のように載っていた。「満願寺九万坊大権現境内。登り山道、階段。300m。5分くらい。奥の院あり竹林と雑木林。」おまけに略図まで載っていた。 




 今日は赤兎山でも登ろうと相談していたが、昨日から全国的に今年初めての寒波が来た。方々で雪が降った。前夜は激しい雨だったので山は中止にした。所が朝起きたら雨が止んでいた。急に近くの近くでも歩こうと、S女史を誘い、戸室山に登ることにして相棒と待ち合わせ場所を決めた。小松を10時に出て、戸室山に向かう途中、満願寺山の傍を通ったので、急きょ登ることにした。窪南という信号を右折して、適当に頂上に向かって住宅の間の急な一直線の登ったら、十字路に出て住宅が途絶えた。かまわず直進して林道に入ったら、竹林が何処までも続いて、お寺が無い。十字路に戻って人に聞いたら、その十字路の一角が満願寺だった。






 お寺かと思ったが、お寺ではなくて九万坊大権現という神社らしい、石段の上に鳥居が見える。石段の前の境内が駐車場になっている。登り口に「ツワブキ」が咲いていた。社務所みたいな住宅で、人が出てきて注意して登りなさいと言った。石段を100段ほど登った鳥居の横に「満願寺山地蔵」の祠がある。これが寺なのかな。








 突き当たりは「九万坊尊」と額が揚げてある。鈴が下がっているので神社らしい。どうも拝殿らしい。左側から小道を裏に回ると、又鳥居があって、小さいながら立派な本殿があった。









 その拝殿の屋根の横に、大きな天狗の面が付けられている。どうも九万坊の大権現は天狗さんらしい。そんな話を聞いた覚えがある。









 その横から奥の院に続く石段が登っているが、石段修復中で危険ですので登らぬようバリケードがしてあった。









 周りは竹やぶで鬱蒼と茂っている。石段に所々青いビニールシートがかけてある。崩れた所らしい。










 石段は結構長い。400段はあるようだ。苔むして雨に濡れて、滑りそうで危険だ。突き当たりに小屋が見えてきた。車より登り出して10分。10.45頂上到着。奥の院は単なる小屋みたいだ。







 三角点は小屋の左の空き地にある。白い国土地理院の杭があるのですぐ判る。
三角点情報「満願寺山」
三角点名・窪
標高・176.43m
等級・四等三角点
所在地・石川県金沢市窪一丁目104








 展望は全然無いが、ここは尖った山のてっぺんに間違いない。加賀の里山、百山登頂完成、
万歳!万歳!









 帰って色々調べていたら、九万坊は金沢だけにある神社のようで、からす天狗が本尊らしい。神社も市内あちこち幾つも存在している。近くの「薬王寺・九万坊大権現」には、前田利家が、妖怪・九万坊を閉じ込めた洞窟があるようだ。







 いずれ尋ねて報告する。石段途中一箇所だけ金沢市内が見えるところがある。雨上がりで煙っているが見晴らしは良い。昔は近くの中学校の陸上部が、訓練鍛錬のためこの坂を上り下りしたらしい。今は誰も登らず、本当に天狗が出て来そうな感じだ。








 相棒を待たすと大変なので、すぐ降りて戸室山登山口のどんぐり食堂を目指して走る。




  2007年10月14日(日)1回 能楽堂より「卯辰山・望湖台」往復



 
「卯辰山」は兼六園からはよく見える。お城より東に見えるので卯辰山と呼ばれるらしい。昔は城が見下ろせる位置にあるため、庶民は登山禁止だったそうだ。今はもちろんバスも上っているし、自家用車で何度も登っている。しかし歩いて登っていないので、一度歩いて登ろうと思っていた。今日は能楽堂での出番が、午前中で一度終り、3時間ほど時間が空くので着替えて卯辰山まで往復してくる事にした。





 11.50分に能楽堂を出発。兼六園に隣接の能楽堂の前庭に、大きな
「ナラの木」がある。おそらく昔から金沢城の中にあったのだろう。
 表通りを避けて、とにかく「卯辰山」に向かって路地をあちこち曲がって歩く。











 天神橋を渡ろうと思ったのに、常盤橋の近くに出た。天神橋に向かうと、静明寺というお寺に出た。中に入ったら「徳田秋声」の墓が有った。








 天神橋を渡って車道を少し登ると、左に「帰厚坂」が分かれているので折れる。登り切ると車道が合流してきており、横切ると「花菖蒲園」である。12.30分。トイレがあるので使わせてもらう。









 花菖蒲園を直進する道は、また車道に出るので、菖蒲園の右にある、鳥居のある石段をくぐる。少し長い石段を登り切ると「卯辰山三社」に出る。愛宕神社と卯辰山天満宮と豊国神社の三社の神社が並んでいる。ここに伊勢物語による、
謡曲「井筒」にゆかりの「井筒」がある。奈良の「在原寺」に在ったものだそうだ。







 神社の裏より車道に出るが、車道に下りないですぐ右に「玉兎ヶ丘」の道標に入る。坂を登り切ると丘の上に出る。少し戻ると車道の先に「徳田秋声の碑」に出る。徳田秋声は室生犀星、泉鏡花と共に金沢の三文豪と呼ばれている。









 その少し先の高台が「望湖台」である。西は金沢の街が広がり意外と海が近い。12.45分。標高135メートルと書いてある。









 東は山並みが見える。左端が加賀富士の「大門山」それに続くのが「赤摩木古山」。手前の山は「高尾山」から「吉次山」。山名の案内板があるので見比べる。登った事のある山が見えて嬉しい。























 大体、もと来た道を戻って13.40分に能楽堂に到着。これは能楽堂の前庭にある、謡曲「杜若」の像







 この記事を書くために地図を眺めていたら、卯辰山の頂上だと思って登って来た
「望湖台」が、卯辰山の頂上で無いことが判明した。



 もっと先に6mほど高い頂上があり、しかも141.2mの「三角点」が在る事になっている。



 残念、また探しに行かねばならないな。



表紙へ戻る