加賀の里山逍遥
2005.04.より登山順

 [加賀] 夕日寺自然園(法師山)199m (金沢市夕日寺町)141
  [加賀]  御所八塚山       130m  (金沢市御所町)141
 [加賀]  直江谷健康の森    203m  (金沢市不室町)141
御所町三角点・夕日寺三角点・小金三角点
第9回 2023.09.03. 「直江谷健康の森」
第8回 2022.12.10. 三ノ坂往来の「高峠城跡」と近くの「直江谷健康の森」を歩く。

第7回 2022.10.12. 夕日寺町より、古道「三ノ坂往来」を歩き途中まで。帰りに「法師山」
第6回 2022.10.09 二俣町から、古道「三ノ坂往来」を歩いて、夕日寺町を目指す。. 

第5回 2019.12.24. 「夕日寺健民自然園」の夕日寺歩道と伝燈寺歩道を一周する。
第4回 2015.09.29. 
「夕日寺健民自然園」の夕日寺歩道と伝燈寺歩道を一周する。
第3回 2013.05.18. 
「夕日寺健民自然園」の御所町三角点と夕日寺三角点を探索する。
第2回 2013.03.06. 御所町より
「御所八塚山」を往復。
第1回 2013.02.20. 
「夕日寺健民自然園」の夕日寺歩道と伝燈寺歩道を一周する。

  2023年09月03日(日)9回 「直江谷健康の森」散策



 国指定・歴史の道百選の「二俣越」がある。夕日寺から二俣まで歩いた過程で「直江谷健康の森」を見付けた。今日はS女史を案内して、二度目の徘徊である。






 金沢大学を抜け、二俣町から不室町に入り、町はずれから林道に入ると駐車場かある。日曜なのに車は留まっていない。暑いからなー。9.30。








 園内に入る道路は鎖があり、車は入れない。











 雑木林観察路の案内板。茶色の道を全部歩く予定。










 出発。








 最初の分岐点。右へ行けばドングリ広場。この場所の左の崖の上に三角点がある。崖の低い所から藪漕ぎ。







 短い距離だが手強い。「三等三角点・直江谷・203m」








 静かな観察路。思ったより暑くない。








 分岐を見晴台の方へ左折。








 山に囲まれた収穫真近の田んぼ。展望があるのはここだけ。







 展望台のすぐ先で分岐を左へ降りる。歴史広場方面へ。








 階段下より、急階段を登ると「歴史広場」。柚木城跡」らしい。 







 城跡らしいが、詳しくは判らないらしい。展望無し。一休みして戻る。









 急階段を降りた分岐。アベマキの大木。左折して「カモシカ広場」の方へ。






                木の実ぶらぶら




 ツリフネソウ         山椒の実








 杉の大木。









 二俣町からの道の合流点。








 カモシカ広場到着。








 あずま屋で昼食。展望無し。風が通り暑くない。11.40。








 あずま屋から降りる。








 展望台に戻る。遠くに宝達山。








 展望台を降りてドングリ広場へ。階段を登る。








 ドングリ広場。朝にリスを見かけたとS女史。








 駐車場に戻った。12.30。日陰の車が日向になっていた。誰一人遇わなかった。







 車に乗って「三ノ坂往来」の高峠にある「供養塔」による。ここから夕日寺まで歩いた事がある。








 二俣町の本泉寺に寄る。車道であるが歩いた事がある。三ノ坂往来である。







 三本柱の珍しい手水舎。









 蓮如上人の御廟がある。








                 ■次回登山は、9/9福井「武衞山」へ■




  2022年12月10日(土)8回 「高峠城跡」と「直江谷健康の森」散策



 ふた月ほど前、二俣町から「三ノ坂往来」を歩いた。その近くの「直江谷健康の森」の登山記録をS女史が見付けた来た。調べてみたら老人向きの森である。S女史は急に不参加となったが、一人で歩いて来た。



 二俣町から夕日寺町までの「三ノ坂往来」は本泉寺から歩いたが、高峠の「平成の供養碑」までは車道だった。今日は同じ道を車で走り、三ノ坂往来の分岐をちょっと入り、供養碑の前に車を置く。この近くに「高峠城跡」がある事は知らなかったので前回は登らなかったが、今回は登って見る。








 靴を履いて三ノ坂往来を少し歩く。








 左が杉林になった所で、戻るように山に登り出す。標識は無し。







 少し手入れがしてあるようなかんじの道。









 頂上近くから河北潟が見えた。







 頂上の標高は221mくらい。展望もなく高峠城跡であるという標識も無し。








 下刈がしてある。少し先へ行ってみたが何も無し。








 頂上付近からテープの下がる登山道を見付けて降りる。車を置いた近くに出た。








 すぐ車に乗り分岐まで戻り、今度は舗装してある車道を、柚木町の方へ走る。あっという間に「直江谷健康の森」の大きな駐車場に着く。1km位だ。 









 駐車場には、他に車は無い。11.40分。







 鎖がしてあり、関係車両以外乗り家禁止になっている。












 この案内板は判りやすい。



 一番下の駐車場かきら歩き出す。




 一周約1時間と書いてある。



 のんびりと茶色のコースを全部廻る予定。










 広い遊歩道。左側が高い。









 最初の分岐。右に行けばドングリ広場だな。


 



 この分岐の左側の高みに三角点がある。荷物を置いて、少し先の登り易い所から藪を漕いで三角点を探す。







 一番高い所に「3等三角点」「直江谷」「203.15m」、ほとんど埋まっている。







 荷物を拾って、ドングリ広場は帰りに寄る事にして直進する。2つ目の分岐を左に入るのを、考えていた交差点のイメージが違っていて、なんとなく直進に見える右に進んでしまった。

 





 道は段々登りとなる。あの上が見晴し台かな。









 見晴し台に着く予定が、休憩所に到着して、間違いに気付く。






 ベンチで昼食。帰りに廻る予定のコースを先に廻ってしまった。








 ドングリ広場を通り、また三角点のある分岐まで来て、再出発。








 今度は左に進んで見晴ら台に向かう。








 すぐ見晴し台が見えてきた。


 





 柚木町と不室町が見える様だ。








 左の遠くに「宝達山」。右の鉄塔のある山は「権殿山」らしい。








 3番目の分岐は、左へ降りる。間違えないぞ。







 降りた所が十字路。歴史広場に登る道。カモシカ広場に廻る道。柚木町へ降りる道。

 






 アベマキの大木。








 直進して「歴史広場」へ登る。ジグザグ階段路。








 歴史広場に登り着く。案内板によれば、ここは「柚木城跡」である、と書いてある。









 標高は194m位。城跡を少し回ったが、展望無し。何も無し。







 歴史広場から分岐まで戻り、「カモシカ広場」の方へ登る。








 ケヤキの大木。









 スギの大木。







 二俣町へ降りる道の分岐。上へ進む。









 すっきり落葉した落ち葉の道。








 気持ちの良い道。あずま屋のあるカモシカ広場へ。








 直江谷健康の森の、唯一つのあずま屋。








 あとは見晴し台を通って一直線に下山する。駐車場が見えてきた。14.10分。ここから柚木町に降り、二俣町から金沢大学へ出て山側環状から小松へ戻った。







               ■次回登山は、12/17小松の「加賀国府散策」へ■


  2022年10月12日(水)7回 夕日寺町-「三ノ坂往来」-「法師山」



 3日前、二俣町の本泉寺から「三ノ坂往来」を歩いて夕日寺の「法師山」を目指したが、途中敗退。実は予想通りなのだが少し残念。そこで今度はS女史を誘って、今度は夕日寺町から「三ノ坂往来」に入り、歩いていない部分を繋げて来よう。





 山側環状線から降りて「夕日寺県民自然園」に車を置く。管理棟には登らず駐車場の奥から道に上がると案内板がある(前回に載せた)。








 このルートマップの赤線通りに、二俣町の方へ行く予定。この道を歩く。この道には「観音堂」がある。泰澄大師が医王山を開山した後、三ノ坂を通られ、途中洞窟で一夜を明かす。越中上日寺の観音菩薩の礼拝を夢に見て、千手観音菩薩を二体彫り「観音堂」に納めた。





 今年の夏、この観音堂を尋ね「千手観音菩薩」を拝みに行ったら、観音堂に鍵が架かり無人だった。古老の人と話したら特別の時にしか開かないらしい。

 観音堂が近づくと子供たちが現われ、なんだか賑やかだな。






 観音堂の前まで来たら観音堂が開いていた。明かりが点いている。この地区の小学生らしい生徒が、グループに別れて堂内で観音菩薩の由来の話を聞き、千手観音菩薩像を拝観していた。授業の一貫らしい。

 





 我々も拝観をお願いしたら、滅多にない機会だからドーゾと云われて、思いがけず小学生に混じって、二体の千手観世音菩薩に手を合わせてきた。大きな素朴な観音像だった。白い馬と黒い馬の絵馬も架かっていた。







 隣の「菅原神社」も開けてあった。









 神社の前を通り「林道夕日寺1号線」を登って行く。






 分岐には入らず林道を尾根まで上がる。









 「堂屋敷跡」の分岐。先程の観音菩薩像は元はここに祀られていたらしい。








 尾根の上の「三ノ坂往来」に合流したらしいぞ。








 尾根の上の「三ノ坂往来」は戻る方が、熊を見かけたので通行止めになっている。二俣の方は通行出来るらしい。






 「至下涌波町」への分岐。下涌波町の方へ進むと「夕日寺三角点」がある。三王坂遊歩道(三ノ坂往来」の方へ進む。)








 「至伝燈寺町」の分岐。いつもはここから伝燈寺町へ降りた。ここにも熊が出たので通行止めになっている。二俣町迄8kmとなっている。







 釣部町350mの分岐。地図には載っていない。









 「かめ割」の石仏。一向一揆と富樫軍が戦った。富樫軍が最期の決戦と水杯を交わし水瓶を割った。富樫晴貞の墓は伝燈寺町にある。





 かめ割石仏の前に「法師山」の標識が倒れていた。よく見ると斜面に道がある様だ。見た感じあまり人が通らないような感じだ。










 二俣町の方へ進む。






 イイギリ







 古道の雰囲気が出てきた。










 古道の雰囲気。







 カガライト工業の立ち入れ禁止ネット。これは見覚えがある。これで三日前の「三ノ坂往来」と繋がった。

 






 もう少し進み、







 三日前に登った三角点分岐に到着。今日はここまでにして往来に座り込んで昼食。


 ちゅうを済ませて、S女史は三角点往復。3等三角点「小金」。 




 戦略品のアケビ。       実の無いアケビ。       ムラサキシキブ








 下山開始。戻り始める。「法師山」へ登りたいが「かめ割り石仏の道は藪みたいな感じなのでパス。








 いつもの伝燈寺歩道から入る。ここも熊で立入禁止。荷物を置いて自己責任で進入。


 




 建物跡を通り、









 少し登ると「法師山」に着く。ほうし→ぼうし。







 やはり「かめ割り」から登れるようだ。


 立山・剣が見える様だが、今日は見えず。






 サルトリイバラ        ツリフネソウ        ミゾソバ







 以前食事をした「スギの晝場」のベンチが草に埋もれている。









 三ノ坂往来の「大休場」を通過するコースは熊のため通行止め。登って来た林道を降りる。






 林道をぶらぶら。観音堂より町の中を通って駐車場到着。三ノ坂往来は二俣町まで繋がった。

 二俣越えの歴史の道は、この後富山県の福光まで続いている。その内にまた。






            ■次回登山は、10/16ホワイトロード「三方岩岳」へ■



  2022年10月09日(日)6回 二俣町-「三ノ坂往来」-夕日寺町



 加賀と越中を結ぶ3本の古道が「国指定・歴史の道百選」になっている。「田近越」「小原越」「二俣越」である。このうち二俣越は、夕日寺町から富山県の福光まで続いている。


 この案内板は夕日寺自然園にある物。一度通して歩きたいと考えていた。夕日寺自然園にある部分は歩いた事がある。「三王坂往来」とも呼ばれ、花園天皇・後醍醐天皇・長慶天皇親王が通ったらしい。この地図は二俣町までの加賀の部分が載っている。

























 今回は出発点に、二俣町の「本泉寺」を選んだ。本泉寺の駐車場に上がり、正面に回り写真を撮る。
 蓮如上人・綽如上人の御旧跡の石碑。山門は金沢市指定文化財。







 大きい本堂の横の「手水場」が変わっている。三本柱である。登録有形文化財・文化庁。








 綽如上人の旧跡。








 蓮如上人御廟。








 出発。門の前から交番の前、郵便局の前を通り橋を渡ると「案内板」がある・







 三王坂コースとなっている。直進しても行けそうだが、用心して地図を見て車道を歩く。








 道なりにぐるりと遠回りして、精米所の前を通り、








 まっすぐに歩いてゆく。








 林を通り、








 ピークを越える。地理院地図にここから、近道の破線の道があるが、見当たらず。







 下に車道が見える。あそこを歩くのだが、遠回りしなければならない。








 分岐まで降りて右へ。








 この辺りから歴史の道認定の部分になる。林道・高石線の標識のある三差路を左に入る。この辺りに「高峠城跡」がある様だ。標識は無し。






 「供養碑」があった。「立石の地名について・一向一揆の最期の地、高峠城で亡くなった私達の祖先の供養に、車町のお坊様により大きな立石が建てられた。後に前田の殿様が江戸から帰られるとき、目障りの為現在車町の地内に移された。昔の話を考えると現在の生活も先祖のお蔭さまと思い、ここに平成の供養塔を建てた。池島岩松、外美子」と書いてある。
 






 ここから舗装の無い道となるが、車の通った跡がある。















 誰も歩いていない。










 まだ轍がある。








 道は細くなり轍は無くなった。
 







 左が開けている。この辺りだけ舗装してある。何かがあったらしいな。ここで昼食。







 舗装は行止り。右に山道が分岐している。こんな所に廃車が一台。








 急に古道の雰囲気になって来た。


 






 古道の雰囲気。








 古道の雰囲気。








 古道の雰囲気。








 U字型の道は古道に多い。








 もうそろそろ疲れて、歩くのが嫌になった。








 左の斜面にピンクのテープ。もしやと思って地図を見たら三角点が近い。今日の目的地をこの三角点にしようと藪漕ぎして登る。展望無し。
「3等三角点」点名は「小金」標識は「186m」








 もう少し進んでみたら「あぶない立入禁止・カガライト工業」の標識。崖になり採石している様だ。







 夕方まで大丈夫と思っていたのにポツリポツリときたので帰り始めた。









 雨はすぐ止んだ。途中で細い道に軽四が停まっていた。立ち話をした、自然薯を掘っているらしい。そばのアケビを取って渡してくれた。









 供養碑の横に、三ノ坂往来の道が分岐していた。登りの時は気が付かなかった。ちょっと近道。






 二俣町に近づくと、医王山が見える。










 本泉寺に戻り着いた。夕日寺県民自然園までたどり着けなかったのは、チョット残念。それでも老人の一人徘徊に満足。




       ■次回登山は、10/12「三の坂往来」の続き■ 上の項



  2019年12月24日(火)5回 「夕日寺健民自然園」を一周



 この時期健康登山のため、低山徘徊している。クリスマスなのに雪が無くて、老人徘徊には有難い。今日は4年ぶりに
「夕日寺健民自然園」を歩く予定。S女史がまだ見ていない、自然園近くの三角点を二つ案内する。加賀産業道路から金沢山側環状線を走り、東長江インタで降りる。





 山に向かって走るとしばらくで、「夕日寺健民自然園」の駐車場に到着する。10.00時。今日はふれあいセンターへの階段を登らず、車道を100mほど戻り自然園の一番外側の遊歩道から山に入る予定。







 トンボサンクチュアリーの看板のある林道を歩く。小学校の前を通って来たが、小学校は公民館になったようだ。







 化石の広場を通る。化石が出る様だ。









 右に「そよかぜの道」が分岐しているので登り出す。








 今日は周回コースを歩く予定だが、途中で近くの二つの三角点も歩くので、距離がだいぶ伸びそうだ。



 コナラの急坂を登り切ると、尾根上の「三ノ坂往来」に合流。山王分岐である。10.45分。












 左へ100mほど進んだら、前回藪漕ぎで入り込んだ地点に、なんと「三角点」への標識があった。







 しかも地図まで貼ってある。この道を直進すると御所町の水道タンクに出て、途中に三角点への分岐の道も書き込んである。







 11.00時に、すんなりと三角点に到着。調べると標高は時々変わる。17ミリ低くなったようだ。
 三角点情報・「
 三角点名・御所町
等級・4等三角点
標高・151.61m
 




 三角点より戻り、「三ノ坂往来・山王坂往来」を進む。この道は、昔は倶利伽羅を通る北国街道の裏街道として、鳴和からこの道を通って、二俣からより福光へ出る街道だったらしい。



 山王展望台を通過。登って来た方が見える。






 雰囲気の良い街道の感じがある。



 アベマキの木がくっついている。連理の幹?。この木の名前が覚えられないと言ったら、今日はクリスマスでアベマリアと覚えろと相棒は云う。



 まだ半分にも達していないな。









 往来の途中に「イシナズコ(石頭)石碑」があった。案内板によれば「天明5年(1789)に建てられたもので「南無大悲観世音菩薩」と書いてあったらしい。今は下の部分しか残って居なくて、上の部分は行方不明らしい。230年以上前の話だな。11.35分。



 古い道は、くぼんで残っているのが多い。古道の雰囲気がいいな。












 11.45分に「大休場・おおやすんば」に到着。ベンチがあるので休憩。ここは景色が良いので、明治の初めころまで茶屋があった、と書いてある。白山が見えるらしいが今日は無し。









 海の方だけちょっと見える。








 旅人の安全を願った、六字の名号がある。








 三ノ坂往来から外れて、上涌波町に抜ける林道に入り込む。1キロほど進むと三差路があり、その間が小山になっている。荷物を置いてよじ登る。






 今日二つ目の三角点がある。12.35分。
三角点情報 
 三角点名・夕日寺
等級・3等三角点
標高・187.91m
 






 同じ道を1キロ戻って、今度は「伝燈寺歩道」の方へ進む。ベンチがあったので昼食13.00時。風が通って寒い。テーブルの上は苔がびっしり。








 伝燈寺へ降りる道は一度「法師山」の下を通る。天気が良い日の北アルプスの写真がある。展望は良いのだ。







 県庁と海が見えるところがある。









 伝燈寺歩道は「富樫晴貞墓地」に降りる。加賀の守護大名、富樫家の最後の当主で、一向一揆勢に追い詰められ、この辺りで命を落としたらしい。14.10分。
















 夕日寺の町を歩いていて「夕日寺の地名の由来」の石碑を見付けた。面白いので載せて置く。

「養老3年(719)泰澄大師は、医王山を開山した後、三ノ坂往来を通られた際、一夜洞窟で過ごされ、越中「上日寺(じょうにちじ)」(現在の氷見市朝日寺)の観音菩薩の礼拝を夢に見られました。そこで、傍らの佳木で「千手観音菩薩」2体と「狛犬」2体を彫り、崇める伽藍を建立し「養老山(ようろうざん)下日寺(げにちじ)」と名づけたことが由来です。その後、上日寺は「朝日寺」と呼ばれるようになり、下日寺は「夕日寺」と呼ばれるようになり、今の地名となりました。

 氷見の上日寺・朝日寺は、謡曲「藤」に詠み込まれているし、万葉集に載る「藤ノ木」も氷見にあり、何度も訪れている。





 「ナンテン」と「カラスウリ」の実が目立つ、夕日寺の町を歩いて、14.45分に駐車場に到着。


 15.500歩の里山歩きでした。山の中では誰一人とも遇わなかったな。






     ■次回登山は、12/28「卯辰山・春日山」へ■




  2015年09月29日(火)4回 「夕日寺健民自然園」を一周



 8月末に「苗場山」に登った。その時、S女子が滑って手を突いて、手首を痛めた。戻ってから病院で診てもらって骨折と判明。早く治るために手術をしたらしい。ひと月は駄目だろうが、また誘って下さい、と聞いていたので、お見舞いのメールをしたら、運転も出来るようになったので、うんと簡単な所を歩いてみたい、と言ってきた。色々考えて、S女子がまだ歩いていない
「夕日寺健民自然園」「法師山」を歩くことにした。



 9.30分に、「なかうみの里」で待ち合わせ。加賀産業道路を走り、そのまま山側環状線となり、イオンもりの里も過ぎ、「東長江」をおり、信号を右折してしばらく走ると「夕日寺健民自然園」の駐車場に付く。ちょうど1時間、10.30分に到着。火曜日は「ふれあいセンター」はお休みらしい。それでも幼稚園のバスが止まっている。






 「ツリフネソウ」が咲いている。芝生広場にトイレがある。ふれあいセンターは閉まっている。芝生広場を横切り「夕日寺歩道」に入る。木の名前などクイズ形式で札が下がっており楽しい。








 「コナラの広場」より、直進しなくて左の道に入る。少し遠回りになるが楽しそうだ。








 分岐を右折して歩いていたら「白山見える場所」とかに出た。案内板によれば、左が「大門山」次の高い山は「高三郎山」その後ろは「大笠山」。右の方に「白山」が見えるはずだが、今日は雲の中。






 やがて開けたところに出る。その先が「大休場」という。「おおやすんば」と仮名が振ってある。加賀藩主前田斎泰公が安政3年に、二俣の和紙製造を見るためここを通った。戸室山、医王山、白山、倉ヶ岳、日本海が一望でここで休息したので、それ以後この名が付いた、と書いてある。この道は古い街道で明治初めまで茶屋があったらしい。(前にも載せた)。ベンチがあるので昼食。





 少し降りると古い林道に合流するが、50mも行くと、右手に「伝燈寺歩道」の入口がある。木に挟まれた気の毒な木があった。作業小屋の先から斜面を登りだすと「法師山」に着く。









 ボウシ山と濁って読むらしい。「剣岳」から「立山連峰」迄見えるらしく、写真が貼ってあるが、今日は見えない。「法師山」より少し下ると、金沢市が見えるところがある。県庁が真ん中にはっきりと見える。













 秋はキノコのシーズン。色々と見かける
























 最後に竹藪を下りると、伝燈寺の町に出る。「ヒガンバナ」が咲いている。山すそをぶらぶらと歩いて駐車場まで戻る。13.20分。




              ●次稿2015年・第62回登山は、9/30「奥獅子吼山」へ●





  2013年05月18日(土)3回 「夕日寺健民自然園」と三角点



 相棒K君に、この山の事を教えて記録を渡したら、行ってきて
「夕日寺三角点」を見付けたという。先を越されたが私も確認に一人で出かけた。この県民自然園の近くに三角点は二つある。もう一つは「御所町三角点」である。彼はまだここには行っていないようだ。





 ナビに行く先を入れると、金沢市内を通らずに森本ICで降りて、山側環状線を戻るように指定してくる。なるほどその方が早く着く。東長江で降りて夕日寺県民自然園の駐車場に9.45分に到着。自宅より1時間。9.50分に芝生広場を横切り「夕日寺歩道」を登り出す。






 10.05分に「コナラの広場」に着く。前回は夕日寺歩道を直進したが、今回は左の「ドングリの道」を行く。途中右の下の広場に「やすらぎの広場」と書いてある。







 10.10分に「山王坂往来」に合流。左右に古道の山王坂往来が通じている。左に進む。








 左手の「サクラの広場」の裾を周り、竹林の竹のベンチで一休み。ポットのお湯でコーヒーを作る。10.17分。







 その先に「山王展望台」があり登ってきた方面が見える。
 









 「ニガナ」







 10.25分に分岐に着く。「山王分岐」の標識がある。左の方へ少し登って行く道に「化石の広場・山王団地」と書いてある。直進する道は自然園の圏外になるようで、荒れた感じの道となる。直進する。






 10.28分に標識。直進すると山王団地。右へ降りると「御所ニュータウン」と書いてある。御所の方へ降りる。地理院地図ではここから尾根の上を進む道が書き込んである。ところが道はどんどんと谷を降っている。少し降りてみたが尾根へ登る道は無いようだ。






 また戻って意を決して右手の藪に突入。尾根まで登ると獣道があるようだ。テープが下がった所もあったが、登山路とは思えない。一番高い地点まで登り、西に向かって左折して緩い尾根を段々降りて行ったら、尾根の先に簡単に三角点を見付けた。11.00時。藪の中で展望無し。少しひらけている。





 三角点情報
 三角点名・御所町
等級・4等三角点
標高・151.78m
 綺麗な可愛い三角点である。やっとたどり着いたので、またコーヒーを入れて休憩。






 11.35分に藪に突入した分岐まで戻り、山王坂往来を戻る。往来をずーつと辿るが、この道はまことに気持ちの良い道である。これは確か「オウレン」だと思うが―。








 12.00時に夕日寺町からの道の合流点に出た。ベンチがある。ここは見覚えがある。前回は此処へ直接登ってきた。






 その先が「大休場」である。「おおやすんば」と仮名がふってある。加賀藩主前田斎泰公が安政3年に、二俣の和紙製造を見るためここを通った。戸室山、医王山、白山、倉ヶ岳、日本海が一望でここで休息したので、それ以後この名が付いた、と書いてある。この道は古い街道で明治初めまで茶屋があったらしい。両側が開け一部だけ下界が見える。






 折からまさに「フジ」の季節である。あっちやこっちの木に、今を盛りにふさふさと下がっている。12.10分、林道と合流し、その先の伝燈寺歩道には入らずに、林道を直進する。追分方面と書いてある。








 「キンポウゲ」「ウマノアシガタ」が本名?。









 12.15分に林道の分岐に出る。左に下涌波町5K、直進は山王坂歩道で二俣まで8Kとある。左に折れる。







 下涌波への林道を1キロほどぶらぶらと歩く。
 「タニウツギ」








 「ツクバネウツギ」








 12.35分に造林作業道の標識のある地点に着く。林道はこの先降って行くようだ。ここから左に作業道が付いている。地理院地図には、この林道の一番高い地点の、林道の左のすぐ上に三角点が書き込んである。





 相棒の記録によれば、最初左の作業道をずーっと入って散々探したらしい。私は地図によれば林道のすぐ側なので、荷物を置いて標識の後ろをいきなり高みを目指したら直ぐ三角点に出た。
 三角点情報
 三角点名・夕日寺
等級・3等三角点
標高・188.02m





 少し土に埋もれ、恥ずかしそうに顔を出している三角点だった。


 「ムシカリ」が咲いている。13.00時に山王坂往来に戻る。








 少し先へ進むとすぐ、右に「杉の広場」の方へ曲がる道が分岐。ここで山王坂歩道とお別れで右に入る。。広場を通り抜けると法師山の下の作業小屋に出た。







 坂を登って「法師山」に出る。ほうしかと思っていたが「ぼうしやま」と読むらしい。頂上はあまり展望が良くない。微かに海岸線らしきものが見える。








 すぐ下山開始。








 法師山から少し降りたら、遠くに金沢の市街が覗ける所があった。県庁のビルらしきものが見える。







 「シャガ」が咲いている所に降りると、伝燈寺町のはずれである。14.00時。








 
今回は県道をまっすぐ歩いて車に戻った。14.20分。


 山王坂往来は北国街道の裏街道として、大樋町から尾根伝いに二俣に出てさらに福光まで通じていたらしい。



 「山王坂往来」は、現在は「三王坂遊歩道」とも云う。花園天皇、後醍醐天皇、長慶天皇の内親王の、三人の王が通ったと云う記録があるらしい。山王とも三王とも使われているが、三王が本当かな。


               **次回登山は、5/22能登の「七尾の山」へ**





  2013年03月06日(水)2回 「御所八塚山」を初探索



 石川ふるさと100山と云う本に「御所八塚山」と云う山が載っていた。聞いた事の無い山なので色々と調べてみたら、先月歩いた「夕日寺県民自然園」のすぐ近くだった。しかし地図には山の名前も載っていないし、そもそも山らしい地形でもない。何処がピークか判らない。本には竹藪の中の祠と壊れた建物の屋根部分の写っている写真が1枚だけ載っている。


 今日は金沢で会合がありそれを済ませて、夕方の富山の仕事までの間にちょっと探してみる事にした。





 御所町の加茂神社の境内からコースがお勧めと書いてあるので、地図の神社マークを手掛かりに町中の細い道をウロウロと走ったら神社に出た。駐車場が無い。無人の家の前に車を止める。延喜式内加茂神社とある。由緒深い神社のようだ。








 神社は最近立て直したようだ。新しい。境内に井戸があり、「椎ノ木水」の石碑があり石仏が置いてある。昔椎の木の下に沸いていた村の名水らしい。







 また小さな「弁天堂」もある。由来板によれば「今を去る約1千年前に、加賀国造として隣国羽咋よりこの地に派遣された垂仁天皇5世の孫大兄彦君の、代々の古墳である八ツ塚の守護神として1号墳の辺りに安置されていたが、故ありて昭和49年にこの地に遷座された」と書いてある。因みに弁財天は七福神中唯一の女人神であるとも書いてある。





 「八塚山」は八つの古墳のある山と云う事を納得して、神社の境内より上に登ったら、なんと其処にも鳥居があり大きな駐車場が造成してあった。車を回すべく通りに戻って、星稜大学の方へ廻ったら、加茂神社駐車場の矢印を見付けた。駐車場に車を置く。14.30分。







 駐車場の前の道を山に向かって歩いたら、右に曲がって山あいを進む。しばらくで堰堤に突き当り道が無くなった。山の方向も違うようだ。戻る。右に曲がった地点に左に登る小道があったので、今度は其方を登る。山の斜面が畑になった所に出る。畑を横切って上に登る道が続いているので登って行く。御所町が見える。






 やがて笹の生えた雑木林になる。歩きやすい気持ちの良い道である。荷物もなく、靴もスニーカーで楽に歩ける。








 雑木林に太い孟宗竹が混じるようになる。








 
さらに進むと竹林になり、NHKの機械がある。放送のアンテナらしい。







 アンテナから少し下がったら、突然と竹林が切れて前方に小山が見えた。14.55分。








 登って行ったら横に祠があった。中には何も無い。白い標識が立てかけてあり「御所八塚山古墳群」と書いてあるのが読める。壊れた屋根だけの残骸もある。案内書に載っていた写真の場所である。






 丸い小山は4号古墳だった。竹林は伐採され古墳が良く見えるようになっている。4号墳が一番高いので、ここが御所八塚山の頂上である。









 
4号墳から西の方に、3号、2号、1号と並んでいる。これは1号墳である。







 4号墳から向きを変えて南の方へ5号6号7号8号と並んでいるようだ。これは4号墳より見た5号墳である。







 これは5号墳より見た6号墳である。





 これは4号墳より見た3号墳である。山名札を提げる。






 
下調べのつもりが、お天気が良いので、上手い具合に頂上にたどり着けた。標識など一切無いので少し不安である。古墳は整備しているようなので、そのうちに古墳案内の遊歩道や案内図が出来るだろう。


 日当たりのよい畑の道に「イヌノフグリ」が咲いていた。いよいよ春だ。



            **次回登山は、3/9滋賀県「賤ヶ岳」へ**





   2013年02月20日(水)1回 「夕日寺健民自然園」初探索



 2009.6月に奥医王山に登った時、ピンク色の名前の知らない小さな花の写真を撮り、ページに載せて、名前を知らないと書いたら、金沢のS様よりメールを頂き「ジャコウソウ」だと教えて戴いた。その時
「夕日寺健民自然園」の事をお教えいただいた。ボランティアをなさっているようで、一度おいで下さいと言われた。是非一度訪れたいと思っていたが、とうとう今日まで伸びてしまった。


 「夕日寺県民自然園」のガイドマップをダウンロードしてみると、ふれあいセンター発着のお勧めコースが載っていた。その中に、自然と文化・どきどきコース「夕日寺・伝燈寺歩道(一周約4.5km:2時間30分)」と云うのがあった。


 標高も低いし、雪が降っても傘を差して歩けそうだ。インスタントコーヒーをポットに詰めて、徳光SAのコンビニでパンを買って、金沢西ICで降りる。金沢市街を通る国道359号線の「鳴和」交差点信号を山に向かうと、一直線で、山側環状線の下を潜り、東長江町を抜ける。その先に道路に面して大駐車場が現われる。
「夕日寺健民自然園」の大看板がある。ここに車を置く。コース案内の看板がある。10.50分。







 駐車場より石の階段を登るとすぐ芝生広場である。ふれあいセンターの建物がある。トイレもある。右手の奥に、里山ふるさと館の建物が見える。11.00時、芝生を横切って、建物左の遊歩道を歩き出す。








 雑木林の中を登って行く。








 11.10分、ベンチのある「コナラの広場」に出る。左右に遊歩道が分岐しているようだ。直進する遊歩道を進む。少し雪が積もっている。






 11.25分、ベンチのある小山を通る。標識は見当たらないが、ガイドマップの「巨木の林」らしい。








 巨木の林を過ぎると辺りが開けてくる。大休場・堂屋敷と呼ばれる場所らしい。11.28分。六字名号の石碑があるが、立札が壊れていて読めない。








 少し降ると林道に合流する。11.35分。








 林道を50mほど進むと、右に「伝登寺歩道」の分岐がある。11.30分。林道を直進する方には「追分」と書いてある。追分地点を左折すると上涌波町に続いているようだ。直進すれば二俣町に出る「三王坂遊歩道」になるようだ。




 伝燈寺歩道に入ると、前方に小山が見える。
「法師山」らしい。立て札は「夕日寺県民自然園周回コース全長5.4km。ふるさと館発着、時計回り2.4km。反時計回り3.0km。」と書いてある。この先で右より前谷新道が合流してきている。11.50分、鞍部の峠地点に小屋があった。入って昼食にしようかと思ったら、避難小屋ではなくて作業小屋。鍵がかかっていて入れない、残念。







 仕方がないから、小屋の前から杉林の中の、急登の階段を登る。









 頂上の手前に左に法師山の標示が在った。



 




 分岐を20mほど登ると、そこが法師山の頂上だった。頂上標識は無し。晴れていれば辺りが少し見えそうだ。12.00時。分岐まで戻って伝燈寺町の方へ降りる。






 緩やかな、細い尾根を真っ直ぐに降りてゆく。12.13分、城峰という所を通る。伝燈寺城跡の立札がある。一向一揆の時、農民と富樫が争った城らしい。ここから階段の急坂となる。








 12.23分。孟宗竹の竹林を降りると「富樫晴貞の墓」に出た。富樫家の最後の当主で、一向一揆勢に攻められ、伝燈寺を頼ってここまで来たが、ここで亡くなったらしい。ここで階段に座って、やっと昼食にありつく。






 すぐ下が伝燈寺町のはずれの林道だった。









 町中に入り町中の上へ登って行くと「伝燈寺」に出た。寺自体は富樫とともに燃えて無くなったようで、寺らしくないお堂が建っていた。





 伝燈寺の町を抜け、田んぼの中の道を歩き、隣の夕日寺町に入る。雪が降る中に菅原神社が建っていた。その隣に千手観音堂もあった。








 夕日寺町を抜けると、向かいの丘に萱葺きの「里山ふるさと館」が見えた。あそこが一周コースの発着地点となっている。今日歩いた稜線を眺めながら大廻りの道を歩いたら駐車場に着いた。









 13.00時に一周して車まで戻った。ざっと2時間掛かっていた。春になって花が咲く頃に、今度は登山路近くの三角点探訪も兼ねて、もう一度歩きたいものだ。






                **次回登山は、2/26富山県「尖山」へ**



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