福井県の山逍遥
2006.09.より登山順

  [福井] 天筒山    171m (福井県敦賀市)136
 [福井] 鉢伏山    762m (福井県敦賀市)136
 [福井] 久須夜ヶ岳 619m (福井県小浜町)136 
第4回 2023.11.26. 敦賀の「金ケ崎城址」と「天筒山」を一周。
第3回 2020.11.08. 敦賀の「金ケ崎城址」と「天筒山城址」の麒麟がくるの舞台を歩く。-
第2回 2020.07.22. 敦賀より「歴史の道・木の芽古道」で「鉢伏山」を往復。

第1回 2016.09.19. 車で「久須夜ヶ岳」へ登り、続いて今庄365スキー場より「木の芽峠」まで歩く。.

  2023年11月26日(水)4回 金ケ崎-「天筒山」-一周



 大坂のN女史が鍋パーティーを提案してきた。日帰りなのでなるべく大坂に近い山で、寒波が来ているので屋根のある場所が必要。そんな山を探せと云われて老人は3年前の「天筒山」を思い出した。低い山だがN女史もN氏もまだ登っていない山だったので決定。
 かくして大坂よりN女史、金沢よりN氏とA様、小松よりS女史と私。車3台は敦賀の「金ケ崎古戦場入口駐車場」に、10時集合と相成った。15分程前に着いたら皆は待っていた。





 ここは「金ケ崎城跡」と「天筒山城跡」があり、南北朝時代と戦国時代に、歴史を動かす合戦があった事で知られる。10時出発。駐車場前が「金前寺」。









 金前寺境内に「芭蕉翁・鐘塚」がある。芭蕉はここを訪れ「月はいずこ 鐘は沈むる 海の底」と詠んだ。新田義貞が金ケ崎敗走の時、陣鐘を海に沈めた故事。江戸時代の句碑。






 「金ケ崎宮」の参道を登る。











 「金ケ崎宮」は南北朝時代の戦いで、ここで亡くなった後醍醐天皇の二人の皇子を祀る。






 大きなイチョウの木。










 お参りして境内を抜ける。







 「絹掛神社。落城の時、尊良親王に殉じて221人の武士が自刃したのを祀る。








 金ケ崎宮の裏から「花換の小道」を登る。桜の頃、通行人が桜の小枝を交換する珍しい祭がある。








 敦賀湾。少し埋め立てられて下に地面がある。








 金ケ崎城跡へ登る分岐。








 うっそうとしてくる。








 金ケ崎古戦場の碑。後ろは古墳とか。








 月見御殿跡。








 敦賀湾を見下ろす崖の上。西方ヶ岳と栄螺ヶ岳。








 少し戻って「天筒山」へ尾根を行く。








 常緑樹の大木が続く。








 焼米石出土跡。戦国時代に兵糧庫があった。








 一ノ木戸通過。








 少し紅葉が残る。








 セメント工場。下に接続して火力発電所。








 そろそろ頂上か。








 天筒山の頂上到着。展望台。「4等三角点・天筒山・171m」。標識はあるが三角点は見当たらず。







 展望台へ登る。中は螺旋階段。山側に「中池見湿地」が見下ろせる。11.30分。








 町の方面。








 海の方面敦賀湾。駐車場に置いた車が見える。手前の尖った山が月見御殿の絶壁。あそこから登って来た。昔は海は埋め立てて無かった。







 展望台のすぐそばに大きなあずま屋。さっそく「鍋パーティー」の始まり。








 でっかい鍋が登場。大坂のN女史は料理が大得意。他にも手作り漬物、手作りちりめん山椒。鍋は鶏の軟骨入りツミレ。カモ肉にネギ、白菜、エノキ、どんどん放り込む。






 豪快な「鴨鍋」出来上がり。とても良い味。とても美味しい。鍋奉行もやってもらい、一同大満足。しかも締めに「そば」まで出てきた。








 あずま屋の先に、真っ赤なモミジの大木。








 いっぱいの大鍋はあっという間に空っぽ。








 最後に、大きなケーキとホットコーヒー。凄いです。







 ここで私以外は「中池見湿地」の方へ行く事になる。頂上近くより送電線巡視路へ降りて行った。老人だけは中池見湿地まで降りると、また登り返すのが嫌で、単独で下山する事になった。バイバイ。







 広い道を降りて行く。









 だいぶ降りると、中池見湿地へ降りるメインルートの分岐に出た。所が12月22日まで通行止めになっている。中池見湿地へ降りた4人の仲間は、ここへ登り返す予定のはずだが?。大丈夫かな?。





 私は昔の記憶を頼りに、「山ノ神神社」の裏から神社の参道に出て、遊歩道に出た。










 ここから山腹を巻くように、戻るように遊歩道がある。






 高低差の無い遊歩道を戻ると「永厳寺」への分岐に出た。前回は永厳寺へ降りたが今回は直進して元の道に出る予定。








 しばらくで登って来た道と合流。登って来た時に歩かなかった鉄塔をちょっと寄ってみる。







 登って来た道を降りる。









 二ノ木戸辺りから、直接「金崎宮」へ降りる道がある。160mと書いてある。初めての道。







 短いが、ジグザグの急階段である。









 「金ケ崎宮」のお手洗いの横から、社務所へ出た。







 参道を下りたら山の上に展望台が見えた。仲間4人も丁度駐車場に着いた所だった。14.45分。やはり通行止めで、車道をずーっと歩いて戻ってきたらしい。
 大寒波が予想されていたのに思わぬ好天気に紅葉。お腹いっぱいの美味しかった鍋。企画してくださったN女史様。大変有難う御座いました。気を付けて大坂までお戻りください。



     ■次回登山は、12/9「木場潟一周」へ■




  2020年11月08日(日)3回 金ケ崎-「天筒山」-「中池見湿地」



 大河ドラマ・麒麟がくる「逃げよ信長」が今日放映される。織田信長が越前朝倉氏を攻め、天筒山城を攻め落とし、金ケ崎城も落としたが、近江の浅井長政が反旗を翻し、挟み撃ちになるので、撤退するという話らしい。本当は石川県民の森「後光山」を予定していたが最近のクマ出没が怖い。天筒山は前々から調べていたので、放映に合わせて歩きに来た。



 敦賀インターで降車、「金ケ崎城跡」登り口の駐車場に車を置く。9.50分。広い駐車場でトイレもある。敦賀市の駐車場らしい。すぐ前のお寺は「金前寺」である。駐車場に「金ケ崎城跡・天筒山城跡碑」がある。金ケ崎城は敦賀湾に突き出た丘の上に築かれた、中世の城である。三方を海に囲まれ東に連絡する天筒山城との尾根にも木戸のある、難攻不落の城であったらしい。ここで二度、歴史を動かす合戦があった、と書いてある。南北朝時代と戦国時代。








 城の方へ登山開始。登り口の金前寺に「芭蕉翁・鐘塚」があった。芭蕉は元禄2年(1689)8月15日に、奥の細道の旅でここを訪れ、新田義貞が金ケ崎城から敗走する際、陣鐘を敦賀湾に沈めた話を聞き、「月いずこ鐘は沈るうみのそこ」と詠んだ。句が彫られているようだが江戸時代のもので読めない。




 南北朝時代(1336)、南朝の新田義貞は、後醍醐天皇の皇子尊良親王・恒良親王と共に金ケ崎城に籠城した。足利幕府軍との戦いで、翌年に城は落ち尊良親王と義貞子息義顕は自害、恒良親王は捕らえられた。






 長い石段を登って行く。天気が悪く雨がパラり。戦国時代の信長の撤退戦は、藤吉郎(秀吉)・明智光秀がしんがりを勤め、無事に信長は京に戻り、この二人が表舞台に出てくる。








 石段を登る。







 ようやく「金崎宮」かな。








 麒麟がくるゆかりの地「飛躍の地」







 長い石段を登り切ると「金崎宮」に着く。尊良親王と恒良親王を祀る。







 「絹掛神社」がある。落城の際、尊良親王に殉じて321人の武士が自刃したとの事で、その武士たちが祭神である。







 「花換の小道」を登る。桜の咲く頃「花換祭」がある。桜の小枝を通行人が交換し、お互いの幸福を願う珍しい祭りと聞いた事がある。







 下が見える。昔は海だったようだ。









 尊良親王御墓所見込地を通る。








 金ケ崎古戦場の碑








 突き当りに登り着く。本丸跡らしい。月見御殿があったらしい。崖の上で、下に敦賀湾が広がる。西方ヶ岳とサザエ岳が目の前である。10.35分。







 少し戻って尾根を「天筒山」の方へ歩き出す。昔は天筒山の方からしか金ケ崎城に入れなかった。常緑樹の大きい木が多い。木の事は良く判らないが、名札を眺めていると「イヌシデ」「タブノキ」「スタジイ」などらしい。





 三の木戸跡                   焼米石出土跡-戦国時代に兵糧庫があった














 二の木戸跡                   一の木戸跡















 細い尾根に木戸があったようだ。




 長い階段で天筒山の方へ登って行く。




 敦賀湾。敦賀セメント工場。敦賀火力発電所。







 ようやく頂上らしいな。11.20分。
 









 頂上は広場になっており丸い塔があった。給水塔かと思ったが「展望台」だった。






 展望台に登る。西側の敦賀湾。




 車を置いた駐車場が見える。自分の車も見える。駐車場の右の上が「金ケ崎城跡」。その上の山が西方ヶ岳か?




 東側の「中池見湿地」が見える。山に囲まれた「ラムサール条約湿地」が見える。








 「中池見湿地」をここから往復する人が多いが、老人は下山して車で移動して歩く予定。






 展望塔の横に三角点の表示棒があるが、肝心の三角点が見当たらない。??。あるとすれば「4等三角点・天筒山・標高・171.31m」










 大きなあずま屋で昼食。別にトイレ寮もある。







 左より「イヌシデ」「タブノキ」「スタジイ」










 下山開始。一周コース。







 「山ノ神神社」を通過。戻るように「永願寺」の方へ降りる。









 こちらへ降りる人はあまり居無い様だ。








 「永願寺」の裏から入り、正門から出て国道8号線の下を抜ける。








 駐車場までは近い。









 登る時は気が付かなかったが、背後の山が「天筒山」で、駐車場より展望塔が見えた。







 頂上から見えた「中池見湿地」も、この機会に歩こうと車で移動中、「気比神宮」が近かったので立ち寄る。芭蕉が奥の細道の旅の途中、8/14の夜にここに参拝し「月清し遊行の持てる砂の上」と詠んでいる。遊行上人が参拝者の為に、砂を運んで道を補修した、と宿の主人に聞き、明日は雨かもと云われて夜に参拝した。




 翌日8/15日の金ケ崎は、宿の主人の言う通り雨だったらしい。「名月や北国日和定めなき」と詠む。






 憧れのスターとツーショット。



 藤ヶ丘町の登り口駐車場に移動。すぐ湿地に入れるのかと思っていたら、少し登って行かねばならない。10分ほど登るとビジターセンターに出た。いろいろ花が咲くらしいが、今は何もなし。小さく回って帰った。






































         ■次回登山は、11/14-15日本百名山「天城山」へ■



  2020年07月22日(水)2回 歴史の道・木の芽古道で「鉢伏山」



 「鉢伏山」は「木の芽峠」の上に有る山である。福井県の嶺北と嶺南を分ける堺になる様だ。今庄365スキー場の最高地点で、三角点があり敦賀湾の景色が良い、との事。「木ノ芽峠」までは直下迄車で上り、峠の茶屋の前川家までは訪れた事がある。



 今回は「歴史の道・木の芽古道」を登り、木ノ芽峠から「鉢伏山」を往復する予定。




 今庄ICで降り国道365号で今庄スキー場の方へ走る。スキー場の先の分岐で国道476の「木ノ芽峠トンネル」を抜ける。抜けた所に「木ノ芽古道」の登山口がある。道路の一段上に3台ほど留められる。上の案内板がある。2台先着、登山では無いらしい。ここから下がった所の「新保集落」から「木ノ芽峠」までが歴史の道として保存されているらしい。紫式部・道元・親鸞・蓮如・芭蕉が通ったと書いてある。







 10.00分出発。すぐ石碑「親鸞聖人は越後の国国府へ・蓮如上人は越前の国吉崎へ」と書いてある。









 峠越だから、低い部分を通るのだろうな。







 この道は「中部北陸自然歩道」であるらしい。



 古道の雰囲気がいいぞー。






















 左に鉄塔巡視路が分岐していた。登山口に居た男たちが、北陸電力の制服を着てこの巡視路を登って行った。かっこいい。地図を見るとこの登山路から「鉢伏山」に直接登れそうだな。巡視路の入口の橋の先に「大岩」がある。案内板に寄れば、この大岩にお地蔵さんが彫られているらしい。「木ノ芽中坂地蔵尊」通称「弘法の爪描き地蔵さん」。苔に覆われていて、何処に地蔵さんが彫ってあるのか判らなかったぞ。








 平安時代に紫式部が、越前から帰京の際、この峠で詠んだ詞書と歌が残されているらしい。歌は「猿もなほ、遠近人の声かわせ、われ越しわぶる、たこの呼坂」。詞書に依れば、式部は輿に乗っていて、ここはよび坂と呼ばれていたようだ。









 平らな石がある。「休み石・越掛け石」と云う。この峠越え道を、たくさんの物資が人の背で運ばれた。荷物を背負ったまま腰掛ける石、と書いてある。










 峠のすぐ下に三角屋根に覆われた「水場」があった。清らかな水が溜まっていた。「木ノ芽川源流」「弘法大師お手掘りの湧水」「明治天皇御膳水」とか書いてある。飲んだが美味かった。しかしカエルが跳び込んだぞ。




 石畳の上に、峠の上の「峠の茶屋兼番人」だった「前川家」が見えてきた。







 現在も前川さんはここにお住いのようだ。戸は開いているが只今ご不在らしい。









 永平寺を開いた「道元禅師」と高弟二人の石碑がある。病気療養のため京へ帰る時、高弟一人と別れを惜しんだらしい。その時の歌「草の葉に、かどでせる身の、木ノ芽山、雲に路ある、ここちこそすれ」。







 「平重盛公」の墓がある。ここにお住いの前川様の、36代前のご先祖らしいです。













 峠を越えて「鉢伏山」を目指す。




 福井方面の山側が見える。








 スキー場のコースと思われるゲレンデに作られた作業道を登って行く。「鉢伏城址」案内板がある。頂上は城跡らしいな。








 近いのかと思ったらなかなか遠く、傾斜も強かった。向こうに頂上建物と、リフトの頂上駅が見えてきた。







 リフトの頂上駅の上に「鉢伏山」の頂上が見えてきた。12.20分に到着。









 頂上原っぱのふちの木陰で昼食。








 一番高い地点に三角点。草むらの中。横に変わった標識が建っている。








 三角点情報・「鉢伏山」
 三角点名・鉢伏山
等級・2等三角点
標高・761.76m
 標識下の案内図は、積雪時のためにあり、無雪期は高くて読めない。




 敦賀湾が見えないかと、長時間粘ったが、ちらりと一瞬見えただけ。




 1時間も休んで下山開始、木ノ芽古道の先を少し進み「言うな地蔵」を訪ねる。




 茅葺の「言奈地蔵堂」があった。覗くと石に彫った地蔵様が見えた。その前で御勤めをするようで、ちゃんとかたずいている。前川様が管理しているようだ。「昔、大金を持った旅人を殺した馬子が、面前にあった地蔵に、地蔵言うなと言ったら、地蔵は、言わないがおのれ言うなと、と言い返されたそうな」。年を経て再びこの峠を越えた時、、若い旅人と道ずれになり、地蔵の前に来た時地蔵の謂れを聞かれ、昔の事を話してしまう。この旅人は殺された男の息子で、親の仇を探す旅だった。敦賀に降りてから敵討ちをしたとの事である。






 言うな地蔵からは、登って来た道を戻る。15.15分に車に戻り着く。











 帰りにスキー場の下の「板取宿」に寄る。







 昔の宿場だが、壊れかけの茅葺屋根の家が数軒のみ。










                ■次回登山は、7/24加賀「加賀市中央公園」へ■



   2016年09月19日(祝)初散策 車で「久須夜ヶ岳」「木ノ芽峠」



 
謡曲「安宅」の道行きに地名が色々出てきます。
「波路遥かに行く船の、海津の浦に着きにけり。東雲はやく明け行けば、浅茅色づく有乳山。気比の海、宮居久しき神垣や。松の、木乃目山。猶行く先に見えたるは、杣山人の板取。河瀬の水の麻生津や。末は三国の湊なる。蘆の篠原波寄せて、靡く嵐のはげしきは、花の安宅に着きにけり、花の安宅に着きにけり」。とあります。


 友達のシテ方能楽師「藪俊彦師」の御社中機関紙に、「奥の横道の能楽古跡」と云う拙文を毎号に載せてもらっている。何年も書いているので、そろそろ書く事が無くなってきた。今回は謡曲「安宅」の道行きの部分に載っている「地名」の探索ドライブである。特に「木乃目山」は敦賀から今庄に抜ける「木ノ芽峠」の上の「鉢伏山」の事らしい。お天気が良ければちょっと登ってこようと登山靴も車に放り込む。


 北陸自動車道を敦賀ICで下車。国道8号線より国道161号線を走ると「国境高原スノーパーク」に着きます。福井県と滋賀県の県境です。ここは何度も来ています。「高島トレイル」と云う登山路の登り口です。高島トレイルとは、高島市の西側の山脈が、日本海と太平洋の分水嶺にあるのでその峰を連ねた登山コースです。登山者にはなかなか人気のあるコースです。この国境から登る最初の山が
「乗鞍岳」です。乗鞍岳へ



 謡曲に出てくる
有乳山は、辞書によれば、歌枕。福井県敦賀市南部の山。愛発山とも記す。《万葉集》巻十に〈八田の野の 浅茅色づく有乳山 峯の沫雪 寒く降るらし〉がある。北陸道の入口で、愛発関(あらちのせき)が置かれたので,軍記物にたびたび描かれた。《義経記》の巻七には〈愛発山の事〉があり,義経主従が奥羽への途中に通ったことを記し,名義について,加賀白山の女神がこの山で出産し,あら血がこぼれたので〈あらち山〉というとする。
 有乳山は「乗鞍岳」の事に違いないと、私は思います。峠を越えて滋賀県に降りて海津の岬をひと回りしました。琵琶湖を舟で渡り
海津の浦に上陸した義経一行の跡を探すためです。義経が隠れた岩があるとの事でしたが見つかりませんでした。今津から国道303号で小浜まで出て一泊。






 翌日は小浜八幡神社の「能楽堂」を見学。前日のこの神社のお祭りは台風の影響で、雨の中の神輿巡幸でその後かたずけをしている。








 すぐ近くの「空印寺」に寄る。八百比丘尼の伝説のあるお寺。人魚の肉を食べて800歳歳まで生き、この寺の洞くつで入定したという。







 敦賀へ戻る道に
「久須夜ヶ岳」へ登るエンゼルラインを見付けて入り込んだ。初めてだが道が広くて登りやすい。晴れていればよほど展望の良い山だが、台風でしばらく登ったらガスの中に入ってしまった。頂上に大きな駐車場がありびっくり。


















 駐車場付近には三角点がなかった。タブレットで検索したら、すぐ近くの別のピークにあった。登山路は記入してないが、電波塔の記入があるので道はあると思われる。しかし今回は探すのをやめて次回へ持ち越し。久須夜ヶ岳、一等三角点、618.54m。








 久須夜ヶ岳から降りて敦賀まで行き、敦賀インター付近より国道476号線を走る。高速道路に並走して走り、木ノ芽峠トンネルの手前の右に木ノ芽峠への古道が残っている。看板によれば「平安時代より明治初期まで、千年以上にわたり敦賀と福井方面を結ぶ幹線としい使われた歴史的古道である。紫式部、親鸞、蓮如、芭蕉などがここを通った」。ここから登るのが本当であるが、今回はトンネルを抜けて、今庄365スキー場より車で登る予定。




 峠近くの駐車場に車を留めて、見当をつけて山道に入り込む。特に標識は無し。登ったら「木ノ芽峠」の石標があり、石畳になっており峠上に茅葺の家がある。家前まで登ったら犬に吠えられた。しかも一匹は繋がれていない。犬はちょっと苦手、周りの写真を撮ってすぐ降りた。小雨が降っているので
「木乃目山」(鉢伏山と思われる)には、次回持越しで登らなかった。鉢伏山、二等三角点、761.76m。




 謡曲文にある、麓の
板取の宿にも寄ってみる。変わった形の茅葺屋根の家が4軒ほど残っている。昔は関所があったようだ。




 あと、謡曲文の
杣山とは、今庄近くの何度も登っている山である。



         ★次項2016年第60回登山は、日本百名山新潟県の「火打山」へ★




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