日本百名山逍遥
2006.9.より登山順

    [日本百名山]  大台ケ原山 1695m (奈良県上北山村)120 
第3回登山 2017.11.3-4  大台ケ原ドライブウェーで、駐車場より一周。
第2回登山 2017.09.17   台風18号の為、登山断念。
奈良観光。
第1回登山 2014.11.25   大台ケ原ドライブウェーの途中、悪天候の濃霧の為、登山断念。奈良観光。

   2017年11月03-04日(金-土)3回目 初登頂



 
「大台ケ原山」は、今年9月に出かけたが、台風で登山を諦めた。3年前にも悪天候で諦めている。どうも大台ケ原山には縁が無いなぁーと思っていたが、S女史が登りたいと言ってきたので、3度目の正直で挑戦することにした。10月25-26日の土日を大台荘に予約したが、またもや台風が直撃しそうで、3-4日に変更してもらった。何とか今回は、雨マークが無いので登れそうである。



 
第一日目

 小松を7時に出て、高速を乗り継いで、名神から京滋バイパスで、橿原市に出る予定だったが、三連休で草津PAで渋滞に巻き込まれなかなか動かない。そのあと吉野川に出た所で、吉野川沿いの国道が前回の台風で通行止め。迂回路は非常に遠回り。三茶屋という所まで走らされて、ようやく吉野川に戻る。大台ケ原ドライブウェイに入ると、初めは道が細くてすれ違いに苦労する。途中の工事個所の信号待ち、紅葉が奇麗になってきた。ドライブウェイは段々と道が広くなり、安心して走れるようになる。
 




 途中の広い場所で写真を撮る。山並みは、八経ヶ岳と大峰奥駆道の山並みと思われる。







 15.20分に終点の駐車場に到着。8時間以上も掛かってようやくたどり着く。大きな駐車場である。夕刻が近いので空いていた。まず大台ケ原ビジターセンターに入って、情報収集。








 ビジターセンターの横から登山口がある。今日はここから
「苔道」という遊歩道を一周の予定。








 苔道といっても、秋の今頃は苔なんてほとんど残っていない様だ。

















 開祖大教正古川嵩之墓と書いてある。
 







 20分ほどで苔道一周。16.10分に、登山口のすぐ横にある「心・湯治館」に入る。ここの大広間に、相部屋の寝具だけの宿泊、二食付きで予約してある。今日は何十人も宿泊者が居るようだ。






 明日は6時より食事が出来る。今回歩いた地図を載せておく。20時には寝てしまった。






  
第2日目




 6時にすぐ食事。6.30分に駐車場。だいぶ車が残っている。










 登山の前に散歩。大台教会の方へ降りてみる。






 昨日見かけた墓の、「古川嵩」の建てた教会らしい。明治の人でこの辺りを拓いた人らしい。教会といってもキリスト教には関係なく、御神体を持たず、自然讃美を教義とする神道、との事である。




 ここから隣接する「西大台ヶ原地区」は、有数の多雨地帯で、トウヒ・ブナの原生林が残る貴重な森、昔の大台ケ原の面影を残しているようで、立入禁止になっている。立ち入りには許可が必要で、一日に20人とかと聞いたことがある。







 車まで戻って登山の用意。7.45分にビジターセンターの隣の登山口より出発。










 苔道、中道も同じ登山口である。しばらく歩くとそれぞれ分岐がある。






 最初は平坦な道。前方の一番低い地点に登るようだ。








 8.25分に尾根筋まで登り着く。展望台があり熊野灘が見えます、と看板がある。海は案外近いのだ。この海から湿った空気が吹き上げて、大台ケ原にぶつかるのでここは多雨らしい。







 左に最高地点「日出ヶ岳」を目指す。階段が続いている。










 頂上に展望櫓があり、横に一等三角点がある







 雲で出てきて遠くは見えないが、展望の良い頂上で360度見渡せる。大杉谷の方へ道が降りている。








 木の陰に駐車場が見える。








 熊野灘の辺り、雲の間より光が差した。






 


記念写真を撮ってもらって、さっきの展望台の方へ降り、正木峠の方へ縦走に入る。








 正木峠頂上に近づいて振り返ると、日出ヶ岳が見える。頂上に展望櫓が見える。




 一面の笹原で、トウヒの立ち枯れか目立つ。元は苔むしたトウヒの森だったが、1959年の伊勢湾台風で森林が破壊、木々の流出や運び出しで苔類が衰退。笹類がが繁茂、笹を食べる鹿が登ってきて、木々までも食べてしまったようだ。現在木を植えたり、鹿予防の柵などを設置したりしているようだ。9.45分。








 この辺り笹の背が低いのは、鹿が食べるかららしい。




 正木ヶ原。9.45分。






 尾鷲辻。中道の分岐点。あずま屋がある。10.00時。


 疲れたら一周しなくて、ここから帰る予定。











 牛石ケ原。平らで休憩場所である。大台教会が建てた神武天皇像。10.15分。休憩。




 10.35分に大蛇ー分岐点。荷物を残して大蛇ーの方へ降りてゆく。途中で右手隣に大岩壁が望める。よく見ると岩壁に登攀者がへばりついている。4.5人で岩登りをしているようだ。地理院地図によれば、蒸篭ー(セイロー)という岩壁らしい。見ているだけで怖い。







 10.50分に大蛇ーに到着。細長い岩の道がこの先30mほど下っていて、両側が鉄柵に鎖で、切れ落ちている。人で渋滞。子供たちも混じっている。一番遠くの岩の上に立つだけで怖い。誰も居なかったら四つ這いで先まで行き、写真を撮ろうと思っていたが、やめてすぐ戻った。






 分岐まで戻り、シオカラ谷の方へ降り始める。この道は階段があり高低差ががあるので注意と書いてある。こちらにはブナの木があり紅葉が残っている。






 11.15にシャクナゲの群生地を通る。両側にシャクナゲ林が続く。しかも結構長い距離で続く。



 立て札によれば「日本にシャクナゲ類は11種類あるが、このシャクナゲは「ツクシシャクナゲ」である。花期は5月半ばから6月初め」と書いてある。





 標高が少し下がると、紅葉が残っている。途中で岩の陰で昼食。




 12.20分に、シオカラ谷吊り橋を渡る。




 川へ降りる道もあった。ここで昼食も良かったかなー。




 この辺り紅葉が残っている。石の階段を登って行く。








 登山路の左側が「西大台ヶ原」で、立ち入り禁止区域になる。こちらもやはり笹に覆われている。





 13.15に駐車場に到着。満車である。大きなバスが10台以上も登ってきている。着替えて車で下山開始。駐車場からはみ出した車が、道路わきの広い所に多数留めてある。凄い人気の山である。


 帰りは針インターから、名阪道路、途中で新名神に乗り換え。草津ジャンクションより名神に入った。小松迄遠い。





 大台ケ原ドライブウェイ紅葉。奥駆道は霞んでいる。雨が降らなかって良かった。



             「YAMAP」記録
   ■活動日  2017/11/04(土) 07.36-13.15
   ■活動時間 5時間39分 スタート7.36→58分→日出ヶ岳8.34-8.55(21分)→
         4時間20分→ゴール13.15
   ■活動距離 7.9km  ■高低差  285m  ■累積標高上り/下り 735m/746m



          ■次回登山は、11/11-12「大菩薩嶺」へ■



   2017年09月16-18日(土-月) 断念



 
「大台ケ原山」に登ろうと、前日に「大台ケ原山」の登山口へ1時間という、奈良県吉野郡川上村の湯盛温泉に泊まっていたが、台風18号の日本列島縦断に遇い、大雨が降るとかで登山断念。実は朝起きたら雨は降っていなかった。しかしテレビで大雨が降る降ると騒ぐので登山は諦めた。老人が遭難でもしたら大騒ぎとなるだろう。登山を諦めて飛鳥散策に出たが、雨は降らなかったぞ。ひょっとすると山は晴れていたか?。残念。まあいいか、奈良を見物して帰ろう。



 
「日張山・西蓮寺」 能楽「雲雀山」の舞台となっている。中将姫の遺跡で、継母にいじめられここに隠れていたが、父と再会し都へ帰る。やがて當麻寺に入り尼となる。誰も訪れない山奥の尼寺である。参拝道は急坂のつづれ道。5分位と書いてある。登り口に杖が置いてある。誰も居ないし拝観も無しの尼寺のようだ。




 
「外山・宗像神社」 能楽に五流あるが、北陸の能楽は「宝生流」が多い。宝生流は奈良の桜井市の戸山(トビ)辺りにあった大和猿楽外山座が、宝生流の元になったとの事である。桜井市の宗像神社に「能楽宝生流発祥の地」の碑がある。




 
「多武峰・談山神社」 紅葉の名所。昔、能楽喧窮会の仲間と遊びに来たことがある。中臣鎌子(後の藤原鎌足)が中大兄皇子(後の天智天皇)と、この山中で「大化の改新」の談合したのが、談山神社の名前の起こり。十三重の塔が有名。その昔、大和猿楽の四座が猿楽をよく奉納した。




 本堂は台風の為入れず。風で飛ばされそうなものは補強してある。昔泊まったホテルで、神社を眺めながら昼食。




 
「三輪・大神神社」 能楽「三輪」の舞台となっている神社。古い時代の神社で、後ろの三輪山が御神体である。だから拝殿しかない。折から敬老の日。拝殿では地元の人の敬老の日の行事が行われている。




 
「風神・龍田大社」 能楽「龍田」の舞台となっている神社。今月三日に金沢定例能で「龍田」のお能が出た。シテは島村明宏師で太鼓を勤めた。この年で舞台を無事勤めた事の、お礼を報告。今度で「大台ケ原山」二度目の悪天候。どうもついていない。次回は風の神様よろしくお願いします。


 
   ■次回登山は、9/20「蟹ノ目山」へ■



   2014年11月24-26日(月-水) 断念



 日本百名山
「大台ケ原山」に登ろうと考えた。友達と奈良に旅行し、そのついでに大台ケ原最高峰の「日の出ヶ岳」にちょっと登って来ようと云うものである。大台ケ原ドライブウェー終点の駐車場より、40分で登れると書いてある。ドライブウェーは今年は12月1日まで開通しているとの事である。しかし駐車場に行くまでが長い。しかも喜寿を過ぎて、長いドライブは負担になって来ている。無理をしなくて1日目は橿原市に宿を予約した。高速道路を乗り継いでゆけるので、思ったより早く着きそうだ。そこで近くの「當麻寺」に寄る事にした。



 「當麻寺」は、謡曲「當麻」の舞台であるので、能楽師の端くれであるから、訪れた事がある。本堂の大きな織物の「當麻曼陀羅」が本尊である。謡曲では主人公の中将姫が、蓮の糸でこの曼陀羅を織った事になっている。素敵な大好きな古寺である。




 本堂の後の「奥ノ院」に「紅葉の寺」の看板があった。庭だけでも拝観できるとの事。浄土庭園をお廻りください。
紅葉の両方が見られます、と云われた。櫻も咲いているらしい。








 紅葉と桜のコラボ。








 続いて近くの「石光寺」へ寄る。この寺で謡曲當麻の主人公の中将姫が、蓮の糸を五色の糸に染め、當麻曼陀羅を織りあげたと云われている。この「染め寺」では牡丹が有名で、しかも「寒牡丹」も多くて、冬に備えてこもかけの最中だ。寒牡丹は初めて見た。










 2日目は、
大台ケ原まで行き、最高峰「日の出ヶ岳」に登って来て、「大峰山洞川温泉」に降りて泊まる予定。天気が悪くて雨だが、とにかく大台ケ原駐車場まで行ってみよう。橿原より飛鳥を通って吉野川に出て、国道169号線で山に入って行く。大迫ダムを過ぎ、途中の道の駅で大台ケ原の事を聞いたら、昨日でバスの運行が終わったと云った。そういえば駐車場はいつも満車なので、なるべくバスで登山してくださいと本に載っていた。


 新伯母峰トンネルの入口に「大台ケ原ドライブウェー」の入口があった。入り込んだら途端に道が細くなった。狭い。すれ違いの出来ない場所が多い。小雨が降り、霧が猛然と深くなってきた。ノロノロと、落ち葉が落ちていて滑りそうな道を登って行く。伯母峰峠を過ぎ、伯母ヶ峰の下あたりで道の広い所に出た。車を停めて地図を眺めたら、まだ半分も登っていないようだ。霧が濃くて神経ばかり使って、くたびれたし、時間ももう11.00時になっている。友達も怖がっているし、今回は登頂を諦めて戻る事にした。山用に買ってきた柿の葉寿司を車の中で食べて昼食にする。軽4が一台登って行った。初めて遇った車だ。




 ゆっくりと降って国道169号に戻り、新伯母峰トンネルを抜け、上北山村に入る。和佐又トンネルを抜けた先で、右に国道309号線に入る。入った途端に道が細くなり、エッこれが国道?と思う。こんなに細い国道とは知らなかった。山肌を縫うようにどんどんと登って行く。前より車の来ない事を祈るのみ。霧は無いが崖のふちを走っていて、落石があっても不思議で無いような雰囲気。またもや神経を減らすドライブ。途中で一台の車とすれ違ったのみ。ようやく「行者還トンネル」を抜ける。



 トンネルを抜けた所に、大きな大きな駐車場がありビックリ。しかも1台ほどしか車が留まっていないのに、管理人がいるようだ。今回は大台ケ原山の事ばかり調べていて、「大峰奥駆道」の事は良く調べてこなかった。家へ帰ってから調べたらトンネルの上を、大峰奥駆道が通っていた。しかもこの駐車場から登る山は「弥山」「八経ヶ岳」。奥駆道への登山口だったのだ。八経ヶ岳は大峰奥駆道の中の最高峰で、「日本百名山」だった。以前大阪のN女史が登って来て、良かったよー。オオヤマレンゲの咲く頃にぜひ登れー、と言っていた。



 この駐車場のある登山口へは、天川村の方から来るので、少し道が広くなり、少し運転が楽になる。「みたらい渓谷」という所を通る。遊歩道を少し歩いて見る。




 天川村の中心「川合」という交差点に着いた。天川村で唯一の信号がある。山登りを中止したので、宿に入るのは早すぎる。「天河大弁財天社」に参りに行く。天河社は能楽と深い関係があると聞いていたので、一度寄って見たかった。能面三十一面、能装束三十点、能楽謡本関係文書多数伝わっているらしい。映画にも「天河伝説殺人事件」と云うのがあった。この神社が映画の舞台だった。




 この神社の拝殿が、能舞台のような感じで建てられている。現在では能楽が奉納されることもあるようだ。




 信号のある川合まで戻り、「洞川(どろがわ)温泉」への道を登る。細長い通りの温泉街に出る。宿の主人に聞いたのだが、この先に「大峰山(山上ヶ岳)」があり、通常「大峰山」と云えばここを指すようだ。山頂に大峰山本堂があり、宿坊などもある。修業のための行者は、この洞川温泉に泊まり、山頂を目指した。この通りは行者さん通りと呼ばれているらしい。旅館が何軒も並んでいるが、200年も前の建物だと云う。我々の泊まった「創業300年旅館紀の国屋甚八」も昔の儘の宿だった。標高820mとかで炬燵に入って食事。温泉も良いお湯だった。名水の里でもあるらしい。






 三日目は宿を出て、大峰山の登山口まで行ってみた。大峰山寺や宿坊の戸開けは、5/3より9/23との事で、この間が賑やからしい。駐車場があり、一日1000円。山頂宿泊の二日は2000円と書いてある。一瞬、前方の稜線が見えた。あれが「大峰山(山上ヶ岳)」らしい。




 赤い橋を渡り発菩提心門をくぐると、遥拝所があり、その先は女人結界門があり、女人禁制となっている。吉野から熊野までの「世界遺産、大峰奥駆道」のなかで、この山上ヶ岳だけが今でも女人禁制となっている。おそらく今では、ここが日本唯一だと思う。




 遥拝所からは、もう稜線が見えない。看板の絵が、先頃一瞬見えた稜線にそっくりだ。西の覗で、岩から身を乗り出したりして修行するとの事である。深田久弥はここから登り、八経ヶ岳まで縦走したようだ。







 あとは国道309号で橿原まで戻り、一日かけて小松まで戻り着いた。


     ●次項2014年第79回登山は、11/29福井県「藤倉山」へ●



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